希望の舎―再生編ー

ライフサポーター&開運アドバイザーが書き綴るブログです。「あなたの心に灯をともす」ため、先人が伝承し語り継いできた叡智を伝えます。テーマは歴史/教育/宇宙論/仕事/居場所/心と体の癒し/健康法/開運法/医療人類学/民俗学/文化人類学/食養生法/少食/自然医学/甲田療法/中村天風/斎藤一人/エドガー・ケイシー/生きづらさ/シャーマニズム

社会保障や福祉の意義を考えてみるという件

社会保障制度が現行の社会を成り立たせるのに不可欠なものである、ということは多くの人たちが肯定している(ごく一部のリバタリアン社会保障を否定しているが)。

生活に困窮する人や自立を阻害されている人たちを支援するのは当然の国家の責務である。

 

戦前までのこの国では、生活困窮者に対する施策は国家による恩恵であり施しである、とみなされていた。貧困は自己責任であるが、でもそのまま放置するのは可哀そうだから国家が施してやるという考え方である。そんなメンタリティの救貧対策だと、「劣等処遇」(最底辺の労働者の生活レベル以下の処遇)になり、救貧制度の対象者は厳しく選別される。同時に被保護者はスティグマを刻まれることになる。お上の厄介になり施しを受けている厄介者として白眼視されるのである。このスティグマが現行の生活保護制度の受給者に綿々と受け継がれ、生活保護バッシングが度々巻き起こることになる。

 

社会保障制度や福祉サービスの在り方はそれぞれの国家の歴史や成り立ち方によって異なるものとなる。

所得再分配機能を強化して普遍的なサービスを提供する北欧型。社会保険方式をメインに据えて応能負担を課す欧州大陸型。自己責任・自己決定原則のもと市場に委ねるアメリカ型。どの方式が優れているかは一概には言えない。

先進国であり、民主主義国家を標榜するならば、社会システムの基幹として社会保障制度を埋め込むことがデフォルトとなる。

 

社会保障制度、福祉サービスの意義とはどういったものなのだろうか。

僕の私見を述べてみる。

社会保障・福祉とは人としての尊厳が損なわれている人たち、損なわれかけている人たちに尊厳を取り戻させるきっかけとなる諸施策である。

人に値する生活を保障し、誰もが尊厳を持って生きていくことができるように支援することが社会保障であり福祉サービスである。

 

この国の為政者は社会保障や福祉サービスを「厄介者」ととらえている節がある。

危機的な財政状況であることを奇貨として社会保障費を削減しようとしている。

確かに「ばらまき」的な給付は正さなければならない。高齢者に偏重し現役世代に手薄であること(失業者への給付、住宅政策・教育費等)も問題である。

現行の社会保障制度に問題点があるからといって、社会保障制度そのものを否定してはならない。

 

ありがちな議論として、社会保障制度の拡充は人々を怠惰にさせるというものがある。この手の物言いは人々を「飢餓の恐怖」に陥らせることによって、無理やり働かせることに通ずるものである。

病気や障害、失業等の予期せぬ事態に遭遇しても、セーフティネットが整備されていれば人々は安心して暮らすことができる。

多くの人たちが急き立てられるように働き続けているのは、劣悪な処遇でも我慢しているのは、セーフティネットのあちらこちらに穴が開いているためである。

 

財政上の制約があるにせよ、社会保障制度や福祉サービスをできうる限り充実させれば国家機能の強化にもつながる。同時に国民の利益にもかなう。

社会保障費や福祉サービスの費用は将来に対する「投資」という捉え方をしてもいいはずだ、と僕は思っている。

人に値するような生活を保障できない国、人としての尊厳を軽んじるような国は、もはや国家の体を成さないバラバラの個人が寄り集まった「共同体もどき」に過ぎない。

僕の黒歴史、それは中学時代であるという件

僕は学校というものに不信感を抱いている。

小学生の時に不登校になり、その不信感は拭い難いものとなった。

そして、暗黒の中学校時代を過ごすことによってそれは増幅されることとなった。

 

僕の中学校時代というともう30年以上も前のこととなり、記憶のディティールは朧気となっている。具体的にどういう日々を過ごしていたか、については思い出すことが難しい。

ただ、つまらない日々だったことは覚えている。

 

僕が中学生だったころは、学内に校内暴力の嵐が吹き荒れていて、他方で体罰が横行していた。学校側の管理も厳しくて、理不尽な校則が幾つもあった。

僕が最も嫌だったことは、男子学生は全員丸刈りを強制されたことだ。

その当時、丸刈りは「男らしさ」や「清潔さ」を象徴するものだとの認識があった。

確かに丸刈りは手入れが簡単というメリットがある。

一方で少しでも伸びると校則検査にひっかかり、散髪に行く頻度が高くなる。それに何を着ても似合わない。色気付き始めた思春期の中学生にとってオシャレができないというのはもどかしく感じられる。

今にして思えば学校側が丸刈りを強制したのは、管理をしやすくするためであって、「上に従順な人間」を量産する手段に過ぎなかったのである。

 

僕が通っていた中学では上の代ころから荒れ始めていて、生徒が教師に暴力をふるうことが日常的に起きていた。教師によっては授業そのものが崩壊していた。トイレでタバコを吸う生徒もたくさんいたし、備品を壊したりする輩もいた。

僕は一日でも早くこの中学を卒業したい、脱出したいという思いを抱いて学校生活を送っていた。だから、中学の3年間はとても長く感じられた。

僕の中学時代には良い思い出といったものが皆無である。二度とは戻りたくない。

 

唯一の救いは、ヤンキー連中に直接危害を加えられたことは殆どなかったことだ。

その頃は、生徒間で「棲み分け」みたいなものがあり、ヤンキーは似たような連中とつるんでいて、僕のような普通の生徒に喧嘩をふっかけたり、いじめをすることは少なかったのである。

 

僕は成績は良かったので、高校は地元の進学校に進んだ。

入学当初はカルチャーショックにあったことを覚えている。

生徒がみな真面目に静かに授業を受けているという至極当たり前のことが衝撃だったのだ。

僕は進学した高校の校風や雰囲気がとても気に入って、ようやく自分の居場所らしきものを得ることができた。と、同時にほとんどの中学時代の友人とは疎遠となった。高校で得た友人といる方が楽しかったからである。

 

僕の今までの人生の中での黒歴史は中学時代とサラリーマンをしていた頃だと自己規定している。

両者に共通しているのは、管理がきついということと、「みんな」と同じことを強いられる同調圧力の強さである。

今は悪夢のような日々があったことで、今の平穏な日々があると思うようにしている。

そうとでも思わなければ、やっていられない。

人生の中で貴重な年月を無駄に過ごしたとは思いたくない。

中学時代の頃のことが全く夢に出てこないということは、その頃のことが深く記憶の奥にしまい込まれているということである。

これはこれで喜ばしいことである。

無職の人たちを冷たい目で見る社会は生きづらいという件〈再掲〉

無職であるということは、ただ単に今は仕事をしていない状況であるということに過ぎない。無職であるというだけで人格否定されたりするいわれはないはずである。

社会人とは仕事をしているしていないに関わらず社会の構成員としてそこにいるということだけで足りるものである。

 

初出 2018/8/30

 

僕が無職の時、肩身の狭い思いをしていた。

よくよく考えればおかしい話である。無職とは単に今現在仕事をしていないだけの状態である。

心身の不調で仕事ができないだけなのかもしれない。

勤めていた会社が倒産してしまい、転職先が見つからないだけのことなのかもしれない。

単に仕事をしていないということだけで、その人の人格云々を言挙げするのはやはりおかしいと思う。

 

ただ、無職であることで被るデメリットはやはり少なくない。

賃貸住宅を借りようとしても大抵は審査に落ちる。

クレジットカードを作れない(ほぼ確実に審査に落ちる)。

世間体が悪くて、大っぴらに昼間に外を歩けなくなる。

これらは僕の実体験である。

 

なぜ、これほどまでに無職の人たちに対してネガティブな印象が刻み込まれるのだろうか。

労働至上主義的イデオロギーが蔓延していることのなせる業なのだろうか。働いていることがディフォルトとなっているこの社会のありようが、そうさせているとはいえる。

僕は無職の時に、例えば何かの申込用紙の職業欄には「自由業」とか「自営業」とか記載したりしていた。

新聞の投書欄で投稿者が高齢者の場合、年金生活者と名乗っているケースがある。無職と書くのは何となく憚られるのだろう。

 

無職であることは、今ただ単に仕事をしていないだけの状態のことである。

長い人生の途上で、たまたま仕事に就けていないなんてことは普通のことである。決して異常なことではない。なのに、時として無職であることはあたかも犯罪者予備軍的な扱いを受けることもある。

確かに稼働年齢の人が昼間っからぶらぶらしているのは見栄えが良いものではない(この感覚も偏っているとは思うが)とされている。

よその国の事情は僕にはよく分からないけれども、この国のようにこんなに無職の人たちを白眼視しているのだろうか。

 

嫌でたまらない今の仕事をなかなか辞められない人たちが多い理由の一つとして、辞めた後の「無職」の状態になってからの世間からの冷たい扱いに耐えられないということがありそうだ。

働いてさえいれば、一応は「真っ当な社会人」として見られる。

無職となれば、優れた資質を持っていようとも、何かが欠けた人として見られる。

世間の目を気にして生きている人たちからすれば、このことは案外と大きいものである。

 

僕は無職の人たちを積極的に支援する社会保障制度を構築しろ、とまでは思わない。必要最低限の支援で十分だと思っている(現行の支援策は不十分だと思うが)。

ただ、もっと「ゆるい社会」であってくれればなあ、とはいつも思っている。

無職の人がいても、「ああ、そうなのね」「まあ、ぼちぼちと頑張って」といった程度のリアクションを採るようなゆるい社会であればと願っている。

ある程度のゆるさがあり余裕のある社会であれば、きっと生きづらさは軽減されるはずである。 

強い人たちを基にして社会設計をしてはならないという件

僕が若い頃、勤め人をしているときに風邪をひいたり、腹具合が悪いといった理由で仕事を休むと上司に詰られたものである。

「自己管理がなっていない」

「気合が足りない」

といったような言葉を投げかけられた。

ちょっとした体調不良で仕事を休むなんて社会人失格だと何度も言い聞かされた。

 

労働至上主義、勤勉至上主義、精神主義がないまぜになっていたのである。

同僚には、毎日夜遅くまで残業をし、有給休暇をほとんど取得しないような人たちがごろごろいた。

僕は勤め人になってから、体調不良の日々だったので、この「休んだら極悪人」という雰囲気の職場で悪戦苦闘していた。

風邪やインフルエンザに罹患するのは細菌やウイルスによるものであって、気合でどうにかなるものではない。体調不良になるのは職場環境にも原因がある。まあ、僕の場合はいやいや働いていたので、精神衛生上の問題もあった。

 

僕がかつて所属していた職場(市役所に入って2か所目の職場だが)は、「強い人」をベースにしてそういった人たちをモデルケースにしたところだったのだ。

深夜までの残業なんて当たり前、仕事は自分で作るもの、よほどの事情がないと休んではならない、といった掟が存在していたのだ。

 

相対的に「強い人」を基にして設計された社会は、普通の人や相対的に弱い人にとって誠に息苦しくて生きづらいものになる。

もし、働けなくなって収入が絶たれたら、選別主義の厳しい給付基準を潜り抜けて社会保障給付を受けなければならない。また、いつまでも給付を受け続けるわけにはいかない。すぐに「働け」といったプレッシャーをかけられ続ける。働けないと意思表示をすれば、「怠け者」「甘えている」「役立たず」といった罵声を浴び、負のレッテルを貼られることになる。

 

疾病や障害や失業により生活に困窮している弱者を置き去りにするような制度設計をしている共同体はいずれ必ず弱体化し衰亡する。

強者しかまともな社会生活を送ることができないような社会はろくでもないものである。現政権はこのろくでもない社会を作り出そうと躍起になっている。

経済的格差を拡大させて、階級の固定化を図るアナクロニズムな政策を採っている。

 

19世紀の後半から20世紀の前半にかけては、資本主義の矛盾が噴出してきた時代である。その矛盾を乗り越えようとして共産主義ファシズムが生まれてきた。

それらの社会実験が失敗に終わり、今はますます資本主義特に新自由主義・市場至上主義システムが暴走している。富める者はますます肥え太り、貧しい者はますます虐げられる。社会的強者にとってはますます居心地の良い社会になってきている。

さらには権力を握る者と強者は弱者に自己責任を押し付ける。自らは全く責任を担うこともないままに。

 

弱者は自己責任論に踊らされずに、個人で社会の矛盾に立ち向かうのではなく、弱者同士が連帯して立ち向かうしか手立てはない。

権力者は当然にその連帯を阻むために分断統治を試みることになる。さらに資本主義のドグマが人々に内面化されると、個々が共同体から引きはがされバラバラの「個」となる。

弱者による連帯は言うは易しいが実践するには大きな壁が立ちはだかっているのである。

さて、どうしたものか。今の僕には明快な答えを出すだけの力量がない。

でも、何とかしたいという意思は常に持っている。

僕は自分の非力さを思い知らされながらも、もがき続けていく。

 

 

 

「かけがえのない人」にはなれなくても、全く大丈夫であるという件

僕たちは幼い頃は全能感に包まれている。世界の中心に自分がいて、自分以外の他者はすべて自分に注意を注いでいると感じている。

年齢を重ね、自我らしきものが芽生えると同時に、実は自分という人間は取るに足らないどこにでもいるありふれた存在なのではないかと苦悩するようになる。

 

ほとんどの人たちが自分は「替えの利く」存在に過ぎないと認識するようになる。それが大人になるということである。

実際に大多数の人たちは替えの利く存在である。これは動かしようのない事実である。

一方でそのことを認めたくない気持ちもある。

自分は「かけがえのない存在」でありたいと強く願う気持ちが心のどこかに巣食うのだ。

その溝を埋めるために、学業や仕事や恋愛に没入するのである。

 

恋愛に夢中になっているとき、自分は相手にとってあるいは相手は自分にとって無二の存在だと思い込んでいる。その思い込みが恋愛を推進する活力となるのである。

別れが訪れて、一時は悲嘆に暮れるがまた別の誰かを好きになり、同じような幻想の世界に入っていく。無二の存在だと思っていた相手が実は取り換え可能な存在に過ぎないことに気付いても、また別の誰かに対しては無二の存在であれ、となる。

傍から見れば誠に愚かしいことであるが、誰もこの愚かさを笑うことはできない。

 

会社に勤めるサラリーマンにしろ、フリーランスにしろ、あるいは経営者にしろ大半の人たちは替えの利く存在である。大方の人たちはそのことに薄々気付いている。

ある人はかけがえのない存在に成り上がろうとするし、ある人は自分がつかみ取った椅子にしがみつこうとするし、またある人は我が身を恨みつつ従容と受け入れる。

 

僕は若い頃は、自分という人間が取り替えの利く存在であることに忸怩たる思いを抱いていた。かと言って、かけがえのない存在なれるほどの資質も度量もないことを思い知らされていた。このことを思うたびになんて人生は空虚なものなんだと感じていた。

 

今の僕は自分がかけがえのない人ではなくてもハッピーに生きていけるとの思いに至っている。ただ、自分の存在を全く認識されないのは悲しい。

だから、「あの人がいなければちょっとだけ困る」という程度のポジションを得られればラッキーだと思うようにしている。多少の存在感はあるといった程度のものである。

このポジションに落ち着けば気が楽であり、かつ自身の有用感を得られるし自己肯定感を損なうこともない。かけがえのない存在には程遠いけれども、自分はここに居てもいいんだという安心感がある。

この安心感さえ得られれば生きていくには十分であると僕は思う。

「あの人がいなければちょっとだけ困る」といった程度のポジションは誰でも血の滲むような努力をしなくても多少の努力で得られるものである。

「無理をしない」「我慢をしない」「ほどほどに」をモットーとしている僕にすれば、それが有効な生存戦略なのである。

 

 

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