この社会では「忍耐」や「我慢」が美徳とされてきた。
嫌なことややりたくないことをやり遂げることが大切だという悪しき精神主義・根性論が蔓延している。
この手の洗脳を解くことから始めなければならない。
初出 2016/11/8
僕たちは嫌なことややりたくないことをしなければならないときがある。
大抵は「人生はそんなもんだ」とか「世の中は甘くない」とか嘯いてやりたくないことを当たり前のような顔をしてやり通す。
究極の楽しくて面白い人生とはやりたくもないことなぞ目もくれずに自分のしたいことだけをするというものだ、と僕は思う。
ただ、現実はそんなことを許してくれない。いや、僕たちはそう思い込もうとしている。実際にやりたくないことをしない、ということを貫くと周囲との軋轢を生むし他者からは「自分勝手な奴」との烙印を押されてしまい何かと面倒なことになる。
この社会では嫌なこと、したくもないことをやり通すことが立派だと賛美されることが多々ある。
ある会社に入社しても自分のやりたい仕事、得意な仕事に従事できるとは限らない。大抵の場合、ある人がどんな仕事に就くかは会社が(人事が)勝手に決めてしまい、社員はそれを拒否できない。
僕が公務員を辞めた経緯については何度がこのブログでふれている。ひとつは残業時間の削減に努めたことが上司の不評を買ったことである。もうひとつは人事の理不尽さにあきれたからである。僕の最初の異動に際しての人事のヒアリングのときに希望の部署と行きたくない部署を聞かれたのだけれども、結果は僕が行きたくないという部署に配属されることになった。その際に上司は「うちは行きたくないところに行かせるのが人事の方針だ」といけしゃあしゃあと言ったのだ。同僚や同期たちを見渡すと、確かにほとんどの人は希望通りには異動していなくて、中には僕同様に行きたくない部署に異動させられた人もいた。これでは人事は嫌がらせをするために存在していると言っても過言ではない。市役所の職員は滅多に辞めないことを逆手にとって好き放題していたのだ。「適材適所」を無視した人事がまかり通っていたのである。
僕の体験をつらつらと書いてしまった。
僕は今となってはかつて所属した役所に感謝している。
やりたくないことや向いていないことを我慢してやり通すなんて本当にバカバカしいと思い知ったし、そんな我慢だらけの人生なんて面白くないとの思いに至ったからだ。
公務員を辞めてからは、僕は原則としてやりたくないことをやらないようにしようと心がけてきた。完全にそれを実行できたとは言いがたいが、無理な我慢は絶対にしないと心に決めてこれまでやってきた。
フリーランスのときは嫌な感じのする依頼を断ってきた。雇われて働くときも、我慢の限度の頃合いを低めに設定して、限度を超えたと感じたらすぐに辞めることにしてきた。おかげでずっと経済的に不安定な状態が続いているけれども、精神状態は良好のままでいる。
やりたくないことはやらない、という生き方はとても贅沢なものである。
失うものも多いけれども、得るものはもっとたくさんある。
僕はこれからもずっと「我慢は美徳」という風潮に抗っていきたい。
やりたくないことや嫌なことはしない、という贅沢を満喫していきたい。