希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

定型化された格差論には危うさがあるという件

僕は貧困問題は是非とも解消しなければならないと思っている。

人としての尊厳を損なわれた状態を放置していてはいけないと考えるからである。

貧困問題とよく関連付けられる「格差問題」については、イマイチ乗り切れないところがある。

 

確かに経済的格差の問題は放置しておくと国家あるいは社会を弱体化するおそれがある。もし本当に階級の固定化を招くのならば、座視しているわけにはいかない。

しかしながらである。

僕は格差の拡大に関する言説を見聞きしていても、なんだか腑に落ちないのだ。

平等な社会は本当にユートピアなのか、あるいはそこまでいかなくても「生きやすい社会」なのか。

格差(特に経済的なもの)は絶対的に悪なのか。

所得の再分配社会保障システムを強化しても、根本的な格差是正につながらないのではないか。

僕は所得の再分配をもっと強化し、社会保障システムの拡充をすべきという立場ではあるが、これは生活困窮者を掬い上げることによって社会全体のボトムアップに主眼を置いている。

 

格差論のうち重大な問題点として階級の再生産がなされているという論がある。

確かに下のクラス・貧困層とアッパークラスにおいては世代間で継承される傾向が少なからずあるかもしれない。その要因としては経済的な差異、教育環境等がよく取り上げられるが、遺伝的要因が意識的に排除されている。知的能力はある程度は遺伝する。現代社会では知的能力の高い人たちが相対的に報酬の高い社会的威信の高い仕事に就く確率が高くなる。

また、格差論でよく取り上げられる「文化資本」についても、それが社会の上層に位置する各家庭に本当に存在するかと言えば疑問である。

この国ではヨーロッパ(英仏をはじめとする)に厳として存在するような「階級」なるものがあるのか、またあるにしてもゆるやかな「階級」的なものしかないような気がしてならないのである。階級の再生産が常になされて、それが格差拡大の基になっているという論は粗雑な論という印象を僕は持っている。

 

元々格差、特に経済的な格差(フローとストック)は資本主義の経済体制を採用していればもれなく付随するものである。

格差是正を図ろうとするのならば、資本主義システムにかなりの変更を施さなければならない。

格差を消滅させようとするならば、資本主義体制を転覆させてまったく別の経済システムを構築しなければならない。

かつてはそれが社会主義であり、共産主義だったのだ。今となってはそれらの方策(共産主義革命等)を採ることはできない。

現行の資本主義体制を温存したままで、格差をなくせ、と唱えることは矛盾しているのである。せいぜいが社会民主主義的な経済政策を採用し、再分配機能を高めて、表面上格差を縮小させることくらいである。

 

定型化された格差論を鵜呑みにすることはできない。

資本主義に内在する格差拡大の傾向を無視して、社会政策がどうだとか社会保障がどうのとか言挙げしても何も問題は解決しない。

格差はあるものだと了解したうえで、どのような社会階層に属していても人としての尊厳が損なわれないようにする諸施策を着実に履行できるように持っていくしかないように思う。

 

人はみな平等ではない。持って生まれた能力や資質、生まれた家の諸環境には差がある。人は生まれながらに「格差をつけられる」存在なのである。

ただし、人は誰でも必ず死ぬ。人はみな「ひとつしか命を持っていない」。これは究極の平等である。