希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

僕はカネ儲けの才能が全くない、けれど悲観はしていないという件

僕はビンボー生活を長い間続けている。

元々が勤労意欲が低いことと、消費意欲が低いことも相まってカネを沢山稼ごう、という意欲が湧いてこないのである。

物欲を満たすために馬車馬のように働く人生なんて考えられないのだ。

自分の好きなことをして過ごす時間、自由が欲しいとは強く思っているけれども、物質的な豊かさは二の次だと考えている。

 

とは言え、僕も若い頃は人並みに物欲があり、上昇志向もあった。

また、僕には人並み以上の才能があって、人並み以上に仕事が出来るという誤った自負があった。

この誤った思い込みを抱えたままで、公務員を辞めてフリーランスとして生きていこうとしたのである。まあ何とかなるだろう、という楽観的で根拠の無い自信だけを頼りにして。

 

フリーの講師業を経て社会保険労務士事務所を開業することになるのだが、当然にゼロから始めたので最初は全く顧客がつかなかった。

幸運なことに開業して2,3年経った頃からぼつぼち仕事の依頼が増えてきて「食える」ようになった。ただ、忙しい割に実入りが少なかった。

僕は「町の法律屋」「町の人事労務屋」となることをモットーとしていたのだけれども、ことカネ儲けとなるとその路線を選択したことは正しかったかといえば自信がない。

今にして思えば、僕にはカネ儲けの才能が欠如していたというしかない。質の高い仕事をしていれば報酬は後からついてくる、といった甘い認識を持っていたのだ。単価を上げること、業務の効率化を図ること、他者との差別化を図る等の利益を最大化する戦略眼を全く欠いていたのである。

結局、IT化により自分の「専門的な業務」が陳腐化したことや僕のうつ罹患が重なって事務所を畳むことになってしまった。

 

僕はフリーランスや自営の知人や友人から経営のアドバイスを請われることが結構あったが、その際には我ながら適切な助言をしたなあ、と思っている。まあ単なる自画自賛に過ぎないのだけれども。

ただ、こと自分のことになると客観的になることができず、適切なアクションを起こすことができなかった。このことは即ち僕にカネ儲けの才能がなかったことを示している。

 

僕は自分にカネ儲けの才能がないことが身に染みて分かったわけだが、全く悲観はしていない。

たとえカネ儲けの才能が決定的に欠けていても、自分の食い扶持くらいは稼げるだろう、と確信しているからだ。この「自分の食い扶持」の必要額を下げればいいのだ。贅沢さえしなければいい(ちょっとだけの贅沢はしたいけれど)、と開き直れば何とかなるはずである。

 

おそらく僕はこの先ずっとビンボー生活を続けることになる。

このことに悲嘆するのではなく、楽しんでいこうと思っている。

貧困に陥らないような手立て、例えば人とのつながりを大切にすること、を怠らずに自分にできることは確実にしていく。

カネ儲けの才能がないことは資本主義の世の中においては結構な痛手だけれども、これを逆手に取った生き方をしていきたい。