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希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

「自己責任」を突き詰めると超人的な人しか生き残れなくなるという件

一昔前は世に自己責任論が跋扈していた。

今は幾分和らいではいるが、それでもなお何かのきっかけで自己責任論が噴出する状況にある。特に「貧困」をめぐるメディアの報道がなされるとどこかしこからともなく貧困は自己責任である、生活保護受給者は甘えている等のバッシングが沸き起こる。 

 

俗に言う自己責任論は支配者層や社会的強者にとっては誠に都合の良いイデオロギーである。

社会的弱者に過度な自己責任を強いれば本来政府がなすべき施策をせずに済むし責任から逃れられる。社会保障所得の再分配という本当は為政者がしたくない政策、社会的強者が歓迎しない施策を後回しにできる(と画策している)。

この国は社会的強者には自己責任を求めずに社会的弱者のみに自己責任を強いる、というとんでもない国である。

 

人は日々の生活を営む上で自分で責任を取らなければならないこともある。自己責任の論理に抗えない時もしばしばある。しかし、それにも限度がある。

 

自己責任論は恐ろしいことに際限なく拡大する代物である。

貧困は自己責任である(イギリスでも19世紀の末ころまではこの考え方が一般的だった)。貧しいのは努力が足りないからだ、怠惰だからだと個人の責任に収斂する。

母子家庭で生活が立ち行かないのも自己責任である。離婚して母子家庭になったのは配偶者の選択を誤ったからだ、辛抱が足りない等の言葉を浴びせかける。

病気になったのは自己責任である。自己管理がなっていないから病気になり、日ごろから蓄えや備えをしていなかったのも個人の責任である。

枚挙にいとまがないが、この世で生きていて遭遇する不慮の事態はほとんどが自己責任になってしまう。

 

自己責任論を突き詰めると、この世でつつがなく生きていくためには病気にならないように徹底した自己管理をし、数年間の生活費を賄えるほどの蓄えを持ち、常に安定した収入を確保できるほどのスキルをもっていなければならず、これらの条件を満たした者だけが生きていける、といったことになってしまう。

こんな「超人」的な人たちしかまともに生きていけない社会はある種のディストピア的な社会である。社会ダーウィニズムや優生思想にもつながる危ない社会である。

 

当たり前の話だが、僕たちは生きているうちに様々なことに遭遇する。良いこともあれば悪いこともある。

ちょっとしたきっかけで収入の途を絶たれてしまうこともある。思いがけない事態に遭ってそれが長引くことなんてざらにある。そのために社会政策があり社会保障があり、互助・共助があるのだ。自助努力だけで渡っていけるほど人生は平らかなものではない。

何か事があると自己責任と言いたがる輩は想像力を著しく欠いたバカなのである。

 

今は小康状態にある自己責任論による弱者バッシングは何らかのきっかけでまた噴出する可能性がある。

人は自己責任云々するほど強くはないし、完璧な生き物ではない。

この当たり前のことを片時も忘れないようにしたい。