希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

働き過ぎで身体を壊すなんてバカげている件〈再掲〉

まともな生活を営むための労働で身体を壊すなんて絶対におかしい。

そもそも働きすぎることを強いられること自体が異常である。

 

初出 2015/4/30

 

当たり前の話だが、僕たちは生活を成り立たせるために、あるいはより余裕のある生活を営むために働いている。

僕たちは生きる糧を得るために働いているのであって、働くために生きているわけではない。

働くことに生きがいややりがいを感じることは素晴らしいことだし、否定すべきことではない。しかし、働くこと=人生だという考え方に潜む落とし穴があることも考慮に入れなければならない。

 

現状は働く人たちにとって職場環境・労働条件等が良いとは言い難い。相変わらず長時間労働は蔓延しているし、休日や有給休暇をろくに取れない職場もある。労働者ひとりひとりの負荷が大きくなっている。過労死過労自殺が起きても、特段驚かないし、メディアにも余程のことがない限り取り上げられない。これは異常なことである。

特殊な職業(自衛官・警察官・消防署員等)を除いて、仕事をしているだけで生命の危機に晒されるなんて絶対におかしいことだ。

某飲食チェーンの創業者が「死ぬまで働け」と言った話は有名であるが、その言動を徹底的に糾弾したという話は寡聞にして知らない。この社会では「死ぬまで働く」ということはある程度受け入れられる土壌があるのかもしれない。

 

僕が何度もこのブログで指摘している労働至上主義的な価値観が蔓延ると「働きすぎ」が当たり前の社会となる。また、働きすぎるほど働いている人が世間で高い評価を受けることにも繋がってくる。定時でさっさと退社するような社員は上司や同僚の受けが悪くなる。結果、職場の同調圧力に屈して付き合い残業をさせられたりする。

 

繰り返して言うが、僕たちが働くのはより良い生活を営むためである。一度しかない人生の殆どの部分を働くことに捧げ、働くことによってしか自己実現ができないというのは間違っていると思う。

働きすぎて心身を壊すなんて絶対に馬鹿げている。

本末転倒である。

精神的にも肉体的にも追い詰められるまでに働かなければならないなんてかなり異常なことである。この異常なことがまかり通っていて、感覚が麻痺しているのが、今の職場であり今の社会である。

 

僕たちは今一度「労働」のあり方を見つめ直す時に来ているのかもしれない。

強欲な経営者の横暴を糾さなければならない。

同時に働く人たちひとりひとりが声を上げなければならない。お上頼りや経営者の恩恵を待っているような受身の姿勢では状況は良くならないし何も解決しない。

僕たちは奴隷ではないのだ。

 

心身を病むまで働くことはやめにしよう。

もし、心身の状態に黄信号が灯ったら、すぐさまあらゆる公的なあるいは会社の制度を利用しまくる。徹底的に粘って(会社を利用して)から退職するようにする。会社は僕たちを利用するだけ利用し、酷使して使い捨てる薄情なものだと認識しておく。そして会社に一矢を報いる。

 

もう一度繰り返しておく。

働いているだけなのに、そのことによって心身を壊すことは絶対に馬鹿げている、と。