僕は昔からよく相談を受ける側になることが多かった。僕からは他人に悩みを相談したことは殆どない。
相談を受けたことがきっかけとなって、恋愛関係になったことも2,3度ある。
今となっては遠い日々・・いい思い出やぁ・・
おっと、感傷に浸っている場合ではない。
僕が相談を受けているときは、相手の話を聴くだけ聴いて、余計なアドバイスをすることはなるべく避けるようにしていた。「傾聴」することが何よりも大切だと考えていたからだ。
もちろん、テクニカル(法律や手続きに関すること)な問題については、具体的に解決策を話すが、精神的な領域に関する悩みについては自分の意見はなるべく言わないでおいた。
悩んでいる相手に安易な気休めや励ましの言葉をかけると、時として相手を追い詰めたり、傷付けたりすることがある。
悩みを打ち明けている相手は考え抜いているし、そもそも相談相手に解決してもらおうと思っていないことが多い。ただ話を聴いて欲しいだけなのだ。
うつの人に対して「がんばれ」と励ますのは良くないことは一般に知られるようになった。頑張りぬいてうつに陥った人に対して、頑張れと言うのは、傷ついた身体に鞭打つ行為に等しいのである。
うつになった人に限らず、落ち込んでいる人に励ましたり、気休めを言ったりすることが逆効果になることも多い。
他人の苦しみや悩みなんて理解できっこない。
自分の苦悩は他人には理解できるはずがないと僕たちが思っているように。
しかし、人間という生き物は強くはない。
自分の抱える悩みや苦しみを誰かに話したい。
話すことによって少しでも楽になりたい。
この思いは人として当然のことだと思う。
僕たちは落ち込んでいる人を見れば、勇気付けたくなる。その気持ちは善意からきている。しかし、そこで一歩足を踏みとどまらせる必要があると思う。安易な気休めや励ましの言葉が相手を傷付け追い込むことになるかもしれない、と心の片隅に意識しておくことだ。
でも、やはり声をかけてみる。
相手の話に耳を傾ける。
そして、共感する。
この共感は「共感しているふり」が混じっていても良いと思う。
完全なる共感など存在しない。
相手に少しでも安心感を与えるだけで、それだけで十分である。
僕たちは「安心感」を与え、与えられる関係を築くだけで、希望を持って生きていけるような気がする。