希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

働くことが嫌いだと大っぴらに言えないのは辛い件〈再掲〉

どうしてこんなに働くことが苦痛なのだろうか。

僕が怠け者のダメ人間だから、というのはひとつの要素ではある。

労働に潜む根源的なものが苦痛をもたらすと僕は思っている。

 

初出 2014/9/2

 

僕は働くことが嫌いである。

もっと具体的に言えば、会社をはじめとする組織に雇われてその組織に埋没して働くのがイヤなのだ。

自由がないとか自分の個性が殺されるからといった理由ではない。完全なる自由なんて幻想に過ぎないし、たかだか組織に属しただけで死んでしまう個性なんてたかが知れている。

 

僕は組織の持つ不合理な掟に従うことがイヤでたまらないのだ。付き合い残業なんて真っ平御免だし、意味のない長時間の会議なんかあれば僕は発狂しそうになる。本来ならば職務上の命令権は上司が持つはずなのに、インフォーマルな指示が同僚から発せられる。これが首尾一貫していないことが多い。人によって言うことが違うなんてことが度々起きる。そのために無駄な仕事をする羽目になったりする。

 

何よりも僕は一定の時間一定の場所に拘束されるのがとても辛い。仕事の内容は関係ない。毎日同じ場所に同じ時間に通うという行為がたまらなくしんどいのだ。こんな奴はサラリーマンに不向きに決まっている。毎日のルーティンをこなすことがサラリーマンとしての必須条件であるからだ。

 

「働くことが嫌い」だと広言することはこの社会では憚られるし、自殺行為にさえなりかねない。

もし、ある会社で働くことが嫌いだと広言したり、あるいは周囲からそう認識されればその人は出世できない。下手すればお払い箱になる。社会的信用もない。

 

僕は思う。

果たしてこの世の中で働くことが好きな人たちがそんなに多くいるのかと。

少なくない数の人たちは、働くことが本当は嫌なのに無理して働くことが好きなフリをしているだけなのではないのかと思ったりする。他者からの評価を恐れて、世間の目を気にして勤勉に振舞っているだけではないのだろうか。

住宅ローンや子女の教育費などを抱えて、意に反して働き続けている人たちも多いのではないかと思う。

 

一方、働くことが好きでたまらない、仕事が生きがいだという人たちも存在する。自己啓発に熱心で、自己実現のために邁進する人たちだ。そのような人たちはこの社会では重宝され、高い社会的地位を獲得する。他者からの評価も高くて、世間では「できる人」「有能な人」との評判を得ることができる。

僕はそれらの人たちに対しては素直にすごいな、と評価し、憧れを持つ。僕もできることならば社会に有用な人だとの評価を受けたい。仕事ができて有能な人だと他者から見られたかった。

しかし、それはないものねだりなのだ。

 

僕はやはり働くことが嫌いだ。

でも生活をしていくためには何らかの形で働かなければならない。

この両者の矛盾を解消する手段は今のところ僕にはない。

働くことを好きにはならないけれど、自分への負担が比較的少ない方法で働き続けるしかない。

あるいは「天職」と呼べる仕事に出会い、自分の価値観が変わるかである。

 

いずれにせよ、しばらくは働き続けよう。

日々の労働の中に小さな楽しみを見つけながら。