希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

会社を辞めることのリスクなんて大したことがないという件

世のサラリーマンで今している仕事に満足できずにできれば転職したりあるいはフリーランスになるとか起業したいとか考えている人たちが少なからずいるものと思われる。 その際にネックとなるのが、「会社員」という身分を失うことにより様々なものを失ってし…

人に対する「信用」や「格付け」は、人の「選別」に行き着くという件

新しいビジネスとしてAIによって人間の信用度を測り、そのデータを企業に売るというものがあるらしい。この話を聞いて僕は暗澹たる気持ちとなった。 そんなに人間を格付けしたいのか、選別したいのかと。 クレジットカードや消費者金融の会社が対象者の信用…

「ほどほどに」生きていく、ということをもっと考えてもいいのかもしれないという件〈再掲〉

成長や自己実現という言葉に踊らされ、背伸びすることを強いられる社会は窮屈だと感じる。それらは経済成長に資する生き方をせよ、と急き立てられているような感じもする。身の丈に合った生き方を志向することは間違ってはいない。 初出 2018/6/14 成長や自…

人はみな「ばらつき」があるのが当たり前であるという件

人はそれぞれ個性があり多種多様である。 のっけから当たり前のことを書いてしまった。 しかし、この世の中は当たり前のことが当たり前でないという事象が数多く存在する。 人はみな「ばらつき」があるのが当たり前だということもそうである。 僕は「多様性…

この社会は「優しさに満ちた、冷酷な」社会であるという件

一般論として、この国の人たちは親切である。外国人旅行者もそう感じているという。 僕の肌感覚としては、「内輪の人たち」には確かに親切に振舞うと思う。 僕たちはこの社会は優しさに満ちたものだと思っている節がある。 電車に乗ったときのアナウンス、そ…

友人なんて数人いれば十分であるという件〈再掲〉

友人は数が多ければいいというものではない。 一人でもいれば十分である。友人が少なくて悩んでいる人もいるが、気にすることはない。 初出 2018/6/5 今の僕は人付き合いがかなり限定されている。連絡を取り合っている友人は数少ない。元々仲が良かった高校…

履歴書の空白期間を問題視するのはバカバカしいことだという件

新卒にしろ既卒の転職にしろ、未だに履歴書の空白期間、すなわち会社勤めをしていない期間(新卒の場合は卒業後のブランク)があればそれが問題視される。 本当にバカバカしいことだと思う。 僕は社労士事務所を畳もうとしたときに転職活動をしたことがある。…

近頃ますます社会不適合者になっているような気がするけれど、焦りはないという件

僕が敷かれたレールから外れた生き方をするようになって結構な月日が経ってしまった。僕としてはお気楽に楽しく過ごしているが、世間から見ればもう「終わった人間」となるだろう。 僕たちは幼いころからこの社会にうまく適応できるように教育される。協調性…

働くことが嫌になっても、気にすることはないという件〈再掲〉

誰でも、働くことが嫌になるときがある。 勤勉が美徳とか働くことは尊いというイデオロギーに浸っていれば尚更のことである。 働くことが嫌になっても、それは人として当然のことであって気にすることはない。 初出 2018/5/31 僕は年がら年中働くことが嫌に…

「庶民のリアリズム」なんてもはや幻想にすぎないのではないか、という件

僕はこのブログを始めたころに、僕の行動規範や行動の源泉は「庶民のリアリズム」であると度々書いていた。今もこれは変わりがない。 しかしながら、この「庶民のリアリズム」というものは実は幻想にすぎないのではないか、と最近思えて仕方がないのだ。 中…

「怠惰は美徳」とは指弾されるほどの間違った考え方なのだろうか、という件

僕はずっとある時期まで怠惰は悪だと思っていた。 今やるべきことをやらない人は何をやっても駄目だと思い込んでいた。勤勉は美徳とまでは考えていなかったけれども、努力を放棄した奴は役立たずと思っていた。 ある時期を境に僕の価値観はコペルニクス的に…

「忙しい」ことが善とされるこの社会はおかしい、という件〈再掲〉

世の中の多くの人たちは忙しさを競い、忙しさ自慢をしているように見える。 とても滑稽なことである。 忙しくなければ真っ当な社会人ではないという思い込みに毒されている。 この風潮も滑稽である。 初出 2018/5/24 僕は何度もこのブログで自分は「ヒマ人」…

「ほどほどに」「頑張りすぎない」をモットーにしていきたいという件

僕はもう人生の折り返し点を過ぎたと自覚している。 人生の後半部分を生きているのだ。 体のあちらこちらにガタがきている。 後はもう、下り坂をそろそろと下りるようにして生きていくものだとの諦念がある。 しかし、僕はこのことを悲観していない。 何度も…

「自己責任論」を僕なりに考えてみるという件

僕は巷間にあふれている自己責任に関する言説に強い違和感を抱いている。 かと言って自己責任を全否定するものではない。 人は自分のなした言動にある程度の責任は持つべきであると考えている。 しかし、この国においては、弱者ばかりに自己責任を負わせ、強…

「努力をすれば報われる」という嘘を垂れ流し続けるのはやめようという件〈再掲〉

僕は努力至上主義的な考え方が好きではない。悪しき精神論につながるからである。 また、生活に困窮した人たちに対して「努力しなかったからだ」と突き放す態度は無責任である。悪しき自己責任論である。 努力しようにもできない状況にある人たちがいる、と…

「べてるの家」についての本を読むたび、僕の心は洗われるという件

心が弱ったとき、生きていく力がどうしても湧きあがらないときに手に取る本が幾つもある。そのうちのひとつが「べてるの家」について書かれた一連の著作である。 僕はそれらの本を幾度となく読み返している。 「べてるの家」とは北海道の浦河町にある精神障…

僕はサラリーマンをバカにしたりディスったりする言説が好きではないという件

僕の亡き父は中小企業のサラリーマンとして生き、その人生を全うした。 その父のおかげで僕は私立大学に行くことができた。母は父が長年働いたことによる遺族厚生年金を受給していて生活の不安はない。僕も少なからずその恩恵を受けている。 父はサラリーマ…

会社で働かなくても成長はできるという件〈再掲〉

働くことによって成長することもある。 しかし、僕はこの手の物言いがあまり好きではない。 働くこと以外の要素でも十分に成長は図れるはずである。 初出 2018/5/10 僕は働くことで成長ができる、という物言いに違和感を覚える。はっきり言って嫌いである。 …

平日の昼間にブラブラしていると、不審者扱いされるのは良い社会なのかという件

僕はヒマ人なので平日の昼間に自由になる時間が多い。 大抵は自室にいてラジオを聴いていたり、ネットで動画を見ていたり、読書をして時間を過ごしているのだけれども、自室に籠っていると煮詰まってくるのでたまに外出する。その際にはできるだけこざっぱり…

大学は「サラリーマン養成所」なのか、という件

大学は高等教育機関である。 しかし、高度経済成長期には大衆教育社会となり大学生はエリートではなくなった。数年前からは「大学全入時代」となり、大学の存在価値の低下が甚だしい。 大衆教育社会となり、大学全入時代に突入したことから大学はサラリーマ…

ビンボーであることは決して不幸ではないという件〈再掲〉

資本主義社会ではカネをより多く稼ぎ、また多くの資産を持っている者が力を持つことになる。消費をより多くする者が資本主義社会の適応者でもある。 ビンボーであるとこの社会ではみそっかす扱いされる。しかしながら、ビンボー即不幸だと断定することはでき…

ニートやひきこもりは社会からの「脱落者」ではないという件

ニートやひきこもっている人たちの一般的なイメージは現行の社会に馴染めない脱落者や逸脱者というものだ。 確かに働くことができない、学校へ行くことができない、ということは真っ当ではないとみなされやすい。世間ではきちんと学校へ行ったり働いたりする…

「社会人」とはカネを稼げる人だけのことをいうのではないという件

時々無造作に使用してしまうが、僕は「社会人」という言い方が好きではない。 そこには正社員として会社に勤めていて、給料をもらって生活を自分の力で成り立たせていて「自立」しているというニュアンスが込められているからである。 国家やあるいは世間が…

「おっさん」と化した僕の居場所はどこにあるのか、と常々考えているという件〈再掲〉

僕はもう若い頃に戻りたいとは思わない。「オッサンライフ」を満喫している。 ただ、新たな出会いが極度に減っていることが悩ましいところである。 人とのゆるやかなつながりが大切なことは重々承知しているが、現実はなかなか思うとおりに行かない。うーん…

マイノリティだとしても、生きやすい世の中になればと切に願っているという件

僕はいつの間にやらマイノリティの側に属する人間となったようだ。 自らが望んでそうなったわけではない。信念や信条があるわけでもない。 色々な経験を積み重ねていくうちに、自分の身の置き所を探し求めていくうちにそうなってしまったのだ。 まず僕は会社…

所有権という概念が人々を苦しめているのかもしれないという件

僕は物欲がほとんどない。いや、この歳になって失くなってきたという方が正しい。 若いころは消費を煽るメディアに踊らされて、あれが欲しいこれが欲しいと欲望まみれになり、その欲望を満たすために無理やり働いていた感がある。 この人が持つ所有欲は先天…

たまには誰かに「おせっかい」をしてみようという件〈再掲〉

「おせっかい」という言葉にはネガティブなニュアンスが込められていることが多い。 誰かが困っているときに手助けをする、ということが当たり前ではなくなってきていることの証である。人は「おせっかい」をしたりされたりしながらどうにかこうにか生きてい…

「一度生活レベルを上げると、下げられない」という話はウソであるという件

よく巷で言われる話に、「一旦生活レベルをあげてしまうと、もう生活レベルをさげることができない」という類のものがある。 何らかの理由で収入が減っても、支出額はなかなか減らすことができないという話だ。そのために生活レベルを維持するために消費者金…

自分は「被害者」だと言い立ててばかりいていいのだろうか、という件

この社会には多くの矛盾がある。 この社会には数多くの歪みがある。 既得権者が己の利権をほしいままにするためのシステムを作り上げ、身内で独占しようとする。個人の能力差によるものよりはるかに超えた格差がある。 僕たちはこのどうしようもない社会によ…

僕はカネ儲けの才能が全くない、けれど悲観はしていないという件〈再掲〉

カネ儲けの才能は、人が持つ様々な能力のうちのひとつに過ぎない。 よってカネ儲けができる才覚がなくても悲しむことはない。 しかし、現行の社会システム(資本主義体制)では殊更にカネ儲けの才能がクローズアップされる。僕は現行システムに親和的でないと…