希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

権力を持つ者に対する批判や風刺が許されない社会は息苦しいという件

僕は「お笑い」が好きだ。 力を持っている者、威張っている者たちを茶化し、批判し、笑いに昇華させる、そんな芸人たちをリスペクトしている。 昨今は政権寄りのコメントを発する芸人もいるが、それは芸能に人生をかけてきた先人たちに顔向けできない所業で…

この社会は「優しさに満ちた、冷酷な」社会であるという件〈再掲〉

日本の良さを紹介する番組は多い。 おもてなしの精神に満ちた優しい国であると語られる。 果たして本当にそうなのだろうか。 僕はこの国が他人に冷たくて不寛容であるというように思えてならない。 初出 2018/12/4 一般論として、この国の人たちは親切である…

「善意」からの正しい行いほど厄介なものはないという件

世の中のほとんどの物事は「善意」から生まれている。 犯罪行為や故意に人を陥れるようなこともあるが、これはレアなものである。 僕たちは大抵は善意から発した言動については批判を許されないことになる。実はこのことが厄介なのである。 ある言動が善意か…

僕が最初の勤め先を辞めようと思った瞬間のことを書いてみる、という件

何度もこのブログに書いているが、僕は大学を卒業してある政令指定都市の公務員となった。平成になったばかりの頃のことである。 僕は高い志を持って公務員になったわけではない。 民間企業に入って会社の利益を上げるためだけに働くのもどうかなぁといった…

「庶民のリアリズム」なんてもはや幻想に過ぎないのではないか、という件〈再掲〉

権力者が変わろうとも自分の生活を成り立たせるために知恵を絞り、したたかに生きる、という庶民像は過去の遺物なのかもしれない。 均質化され、為政者に都合よくコントロールされた烏合の衆、それが実像なのかもしれない。 初出 2018/11/22 僕はこのブログ…

「空気の読めない人」こそが新しい何かを生み出せるのでは、という件

この社会は「みんな」と同じようにしろという同調圧力が強い。 僕たちは幼いころから、空気を読む力、周囲に溶け込む協調性を養われ続ける。 「個」の確立よりも、全体の中の一員であることを優先されるのである。 社会が発展するためにはイノベーションが不…

僕はカネの話しかしない人を信用しないという件

僕は長らくビンボー生活を送っている。 それがゆえにカネのありがたみをよく理解していると自認している。 日常生活には支障がないが、ちょっと値がはるもの、パソコンやエアコン等の耐久消費財が故障したりすると、途端に困ってしまうことになる。昨年、パ…

学歴の高さと仕事の能力とは相関関係があるのか、という件

僕は労働問題や貧困・格差の問題に興味があり、同時に教育についても関心を持っている。 教育問題についてあれこれ考えていると、どうしても「学歴」の話に行き当たる。 学歴の効用は何か、それが本当に顕在化するほどのものなのか、社会の中で生きていくう…

「自己責任論」を僕なりに考えてみるという件〈再掲〉

この国で声高に叫ばれている自己責任は、弱者に対してのみ向けられる。 貧困を自己責任だと言い募るのは前世紀の遺物である。 自己責任を押し付けることによって、責任逃れをしている輩は数多いる。 初出 2018/11/13 僕は巷間にあふれている自己責任に関する…

僕は未だに「自分の好きな仕事」「適職」が分からないという件

僕はこの歳になっても未だに「自分が好きだと思える仕事」や「適職」が分からないでいる。 今までいくつかの職種に従事し、フリーランスで仕事をしてきたが「これといった」ものに出会っていない。もしかすると、死ぬまでそれらが分からないままでいる公算が…

サラリーマン的価値観が世の中を覆ってしまったらつまらないという件

会社に雇われて勤めているという形で働いている人たちが大多数になっている。 したがって、サラリーマン的な思考様式や行動様式が半ば常識となりつつある。 それはそれで仕方がないとは思うけれども、マイノリティの僕からすればなんだか息苦しくて居心地の…

ニートや引きこもりは社会からの「脱落者」ではないという件〈再掲〉

ニートや引きこもりの人たちは社会から落ちこぼれた人たちだと捉えられがちである。 そんな認識ではいつまでたってもこの問題は解決しない(そもそも「問題」ととらえるのが間違っている)。劣悪な労働市場に無理やり放り込んでも元の木阿弥である。 要は「生…

「本当に困っている人たち」だけを助けるだけでいいのかという件

一時期大阪で権勢をほしいままにしていた某氏や自民党の政治家が生活保護に関して「本当に困っている人」だけを救済すべきだとの発言を行っていたことがある。 一見もっともらしい発言ではある。 しかし、僕はこの発言に強い違和感を抱いている。 まず、「本…

「時間を大切に」ではなく「時間をムダにしろ」と言いたい、という件

「時は金なり」。この俚諺は古来より金言とされてきた。 一瞬一瞬のその時を大切にせよ、という言葉はまちがいなく正しい。 一生は限られているのだから、それを無駄にするような時間の使い方をしてはならない、というのも正しい。 ひねくれ者の僕はみんなが…

なぜ会社での仕事がつまらなく感じるのかという件

以前のエントリーでつまらない仕事でもそれを続けていれば役に立つこともあるという趣旨のことを書いた。 それは僕の実体験からのものである。 勤め人の時に、いやいやしていた仕事が後々に自分を助けることになった。なんだかんだあっても食つなぐことがで…

敷かれたレールから外れても、何とか生きていけるという件〈再掲〉

きちんと高校や大学を卒業して、新卒で会社に就職して、家庭を築いて・・といったライフコースから外れても人は生きていける。 「正しい生き方」なんてこの世には存在しない、と考えた方が生き方の選択肢も増えて、生きづらさが軽減される。 初出 2018/10/4 …

今から思うと、僕はダメダメサラリーマンだったという件

僕は自他ともに認めるダメ人間である。 ビンボーヒマあり状態にどっぷりと浸かっているダメ人間である。 そんな僕ではあるけれども、若い頃はバリバリと働くサラリーマンだった・・・ということはない。 思い返せば、典型的なダメサラリーマンだった。 最初…

経営者はサラリーマンよりも一枚も二枚も上手であるという件

経営者とサラリーマンの違いとは何か。 色々とあるけれども、一言で言ってしまえば「人を使う」か「人に使われているか」の違いである。言挙げすればシンプルなものであるが、両者の間に存在する溝や壁は大きい。 自己啓発系の著書や記事等でサラリーマンの…

世間の標準からズレた生き方をすれば楽しいかもしれないという件

この社会は「みんな」と同じ行動をとれという同調圧力が強い。また幼少時から協調性を獲得することが重んじられる。 そしてさらには「世間」という厄介なものもある。 世間の目というものを強く意識しないと(時には無意識的に)いけない。 僕たちは知らず知ら…

「優秀な学生がいない」という物言いは、会社の驕りであるという件

ここ数年、新卒者の就職活動に関する報道でよく見聞きするのは人事担当者の「優秀な学生がいない」「優秀な学生がわが社に来ない」というコメントである。 僕はこの言い草に強い違和感を覚える。 まず、「優秀な学生」を決める判断基準がおのおのの会社が決…

下り坂をそろそろと下りていこう、という件〈再掲〉

僕はもう人生の折り返し地点を過ぎてしまった。 これからは心身の衰えと折り合っていかなくてはならない。 そのための生き方を模索中だが、イメージしているのは下り坂をゆっくりと下りていくといった感じのものである。 初出 2018/9/27 僕は中年のオッサン…

つまらない仕事でもそこから得られるものがあるかもしれないという件

いつの頃からだろうか。 仕事にやりがいを強く求めたり、自己実現を図るためのものになったり、成長するためのものになったりしたのは。 こんなに豊かでなかった頃は、仕事というものは生活するための手段としてあるものだった。今もそのことには変わりはな…

「やればできる」とは相手を追いつめる言葉であるという件

僕は今、仕事のひとつとして進学塾の講師をしている。 担当している受講生はそれほど多くはないが、それぞれにタイプが異なっている。 何も言わなくても自発的に学習に取り組む子もいれば、いまひとつ意欲がない子もいる。 塾のできることは限られている、と…

今日の予定が何もないとハッピーな気分になるという件

何度も言っているが僕はダメ人間であり、ヒマ人的生き方をしている。 これは謙遜でも何でもない。ありのままを述べているだけである。 自分がダメ人間であることを実感するのは、朝起きたときに今日一日の予定がないととてもハッピーな気分になってしまうと…

「強くなければ生きていけない」ような社会はいびつであるという件〈再掲〉

ヒトは弱い生き物である。 この弱さを既定事実としたうえでシステム設計をしないと、社会は成り立たない。 弱者を置き去りにするようなシステムを採用した共同体は近い将来に必ず衰亡する。 初出 2018/9/13 僕たちは幼少時から様々な刷り込みをされている。 …

道草を食ったり、寄り道することは楽しいという件

僕が小学生あるいは中学生のころ、学校からの帰路に道草を食うことがその頃の楽しみだった。友達と連れ立って通常の帰り道から外れたり、駄菓子屋や本屋に寄ったりすることがささやかな楽しみだったのだ。友だちと道草を食う行為の共犯関係になることでより…

「働けなくなったら、死ね」という社会はまぎれもなくディストピアであるという件

僕たちは特別な状況に自分が陥らない限り、自分が働けなくなった時のことを想像できない。心身の病気になったり、心身に障害を負ったり、劣悪な労働の条件の会社に勤め続けて消耗して退職を余儀なくされたり、ただ何となく今の仕事が嫌になったりと、これら…

僕はたまたま新自由主義に異を唱える立場にいるだけという件

僕は新自由主義的なイデオロギー・政策に拒否感を持っている。 行き過ぎたグローバリズムに対しても同様である。 市場経済の徹底が多くの社会問題を解決するという能天気な言説には同意できない。 新自由主義を貫徹すると、共同体が破壊され人々はむき出しの…

社会保障や福祉の意義を考えてみるという件

社会保障制度が現行の社会を成り立たせるのに不可欠なものである、ということは多くの人たちが肯定している(ごく一部のリバタリアンは社会保障を否定しているが)。 生活に困窮する人や自立を阻害されている人たちを支援するのは当然の国家の責務である。 戦…

僕の黒歴史、それは中学時代であるという件

僕は学校というものに不信感を抱いている。 小学生の時に不登校になり、その不信感は拭い難いものとなった。 そして、暗黒の中学校時代を過ごすことによってそれは増幅されることとなった。 僕の中学校時代というともう30年以上も前のこととなり、記憶のディ…