以前のエントリーでつまらない仕事でもそれを続けていれば役に立つこともあるという趣旨のことを書いた。
それは僕の実体験からのものである。
勤め人の時に、いやいやしていた仕事が後々に自分を助けることになった。なんだかんだあっても食つなぐことができたのは確かである。
しかしながらである。やはり会社に勤めての仕事はつまらない、と今でも思う。
僕の場合は強く望んで就いた仕事ではない、という事情もあるだろう。元々が勤労意欲が低いということもあるだろう。さらにはサラリーマンには決定的に向いていないという要因もあるだろう。
でもやはり、勤め人としてなす仕事はつまらないものだ、と思えて仕方がない。
もちろん、異論のある人も多いはずである。私は毎日仕事をするのが楽しいと思っている人たちも少なからず存在する。そういった人たちは幸運なのである。とりたてて僕が言うべきことはない。
なぜ、会社での仕事がこうもつまらなく感じられるのか。
世間をあっと言わせるような創見を僕は持っているわけではない。
ただ、ありきたりな意見をもっているだけである。
それは会社での仕事には常に「やらされ感」がつきまとうからというものである。
たとえ自分が強く望んで就いた仕事であっても、「労働者」である限り「やらされ感」を抱いて仕事を遂行することになる。
しかも労働者であれば働いた分の利益が直接的に給料に反映されるわけではない(利益の大部分は会社に搾取される構造になっている)。
労働者という「身分」に身を置いている限り、それは逃れられない宿命なのである。
ならば、労働者から脱してフリーランスになれば仕事が面白くなるのだろうか。
残念ながら一概にはそうとは言い切れない現実がある。
クライエントとの力関係に左右されるが、弱い立場で仕事を受注すれば、下手をすれば労働者よりもさらに仕事がつまらなくなるおそれがある。
逆に裁量度の高い仕事であれば仕事は面白くなる。これも僕の実体験からそう言える。
フリーランスになるには抵抗があって、サラリーマンのままでいたいという場合に、つまらない仕事にどう向き合うか。
出世して役員や社長になってより裁量権や決定権を手に入れる日を夢見て我慢を続けるというのも手である。しかし、これは先の見えない茫洋とした目標に向かうということであって現実的ではない。こんな我慢を続けられるということは、とりもなおさずサラリーマンに向いているということである。同時に心の底から仕事がつまらないとは感じていないことでもある。
僕はつまらない仕事を無理やりにやりがいを求めたり成長を求めたりしないことから始めるのも有効な手立てだと思う。仕事はつまらないものだと割り切るのだ。
そして、後々もしも転職したりフリーランスになったりしたときに、少しはこのつまらない仕事によって得たものが役に立つはずだと思い込むようにする。この思い込みはあながち根拠のないものではない。僕の実体験からも言えることだし、起業家の多くは起業前に経験した仕事が起業した後に役に立っていると答えている。
なんだかありきたりな論になってしまったが、今の僕にはこれ以上の答えを出す引き出しがない。
人の営為に全く無意味なものなどないと信じた者が果実を得られる、という古来からの箴言を黙って受け入れるのもなかなかに有効な手立ててある。