希望の舎―再生編ー

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サラリーマンの世界に閉じこもることはとても危険だという件〈再掲〉

今は圧倒的多数の人たちが雇われて働くサラリーマンである。

社会のマジョリティとなっている。

サラリーマンのメンタリティがこの社会を覆うことは良いことなのか、僕にはわからない。

 

初出 2017/11/2

 

僕はこのブログでサラリーマン根性に浸かった人たちはダメだと言ってきた。

僕がサラリーマン稼業ができないというルサンチマンによってサラリーマン的生き方を否定しているという面はある。同時に世のサラリーマン諸氏に敬意を抱いている。毎日、面白くもない仕事を生活のために延々と続けることは精神力を要することである。

 

このエントリーでも、やはりサラリーマン根性にどっぷりと浸かることは危ないよ、といったことを言いたい。

一般的にサラリーマンは「横」しか見ていない。

自分が勤めている会社以外の世界を見なくなる。せいぜいが同業他社しか見ない。その背後にも世界が拡がっているということが想像できなくなるのである。

会社の上司や同僚、仲間内が世界の全部と捉えている人たちは自分がもっと大きなネットワークの中にいるという認識が欠落するのである。

 

僕が嫌だなあと感じるのは閉じた限られた世界で充足しているサラリーマンが、偏った価値観に基づく全能感を持ち、「外の世界」にいる人たちを見下すことである。

サラリーマンの世界の周縁にいる人たち、例えばフリーターやニートフリーランスの人たちを真っ当ではない生き方だと決めつけて、優越感を持つことである。

長らく「外の世界」で棲息する僕は肌感覚でこのことをひしひしと感じている。

 

僕がサラリーマンだった時、「外を見る」ことができなかった。

自分が属する閉じた世界の中で、いかに自分がどのように立ち回るしか考えていなかった。

サラリーマンを続ける期間が長くなればなるほどその行動様式や特性が深化する。

 

世のサラリーマンがすべて前述のような行動様式や思考様式を備えているわけではない。「外の世界」にネットワークを広げて、想像力を働かせている人たちも多くいる。

サラリーマン的思考から逸脱したサラリーマンも多くいる。

そういったアウトサイダーが報われているか、といえば疑問である。

元々この国の会社組織は疑似家族、疑似村落共同体的な性質を色濃く有していた。

今もその残滓はあるように思う。

そのような組織は同一の価値観を持つこと、均質化への同調圧力が強くなる傾向にある。

 

今は日本的な雇用の特質であるとされてきた終身雇用や年功序列が大きく揺らいでいる。しかし、サラリーマン(特に大企業や役所の正規社員・職員)は安定しているという幻想は残っている。その幻想に安住したい人たちがサラリーマン根性を植え付けられるのである。全くの僕の独断的な考えであるけれども。

 

サラリーマンである限りは程度の差こそあれ生活は安定する。

その安定を維持するための営為を否定すべきではない。

しかしながら、そのことばかりに気を取られていると何か大切なものを失うかもしれないし、取り返しのつかないことになる危険性もある。

では、どうすればいいんだと問われても、僕には明確な答えはない。

ただ、そう感じる、としか言えないのである。無責任に思われるかもしれないけど。

全面的な解決にはならないけれども、「自律性」を持つこと、「外の世界に対する想像力」を持つこと、「個」としてネットワークを広げる、といったことで対応するしかない、と僕は思っている。

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