希望の舎―再生編ー

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なぜ公務員バッシングが繰り返し起きるのか、という件

就職先として国家・地方問わず公務員の人気は相変わらず高い。

自分の子供が公務員になりたいと言い出して「そんな仕事なんか止めとけ!」という親はいるだろうか。よほどの変わり者ではない限り、そんな人はいない。

昔、僕が公務員試験に受かったとき、両親は大喜びしたことを覚えている。おそらくこれで一生安泰だと思ったのだろう。

 

僕が就活をしていた頃はバブル真っ只中であったこともあって、それほど公務員の人気はなかった。確かに試験は高倍率ではあったけれども、今ほど過熱したものではなかった。多くの業種では初任給や生涯収入が公務員のそれを上回っていた。経済面で考えればそれほど公務員という仕事はおいしいものではなかったのだ。

 

なぜ公務員バッシングがたびたび巻き起こるのかと言えばまずはその安定した待遇に対する嫉妬や羨望によるものである。国際競争にさらされず、ぬるま湯のような環境にあって、しかもそこそこ給料が良い、となれば昨今の経済事情、労働環境を鑑みれば羨ましくもなる。

地方に行けば県庁や市役所の職員の待遇は地場企業のそれに比べるとかなり良いという。地方では公務員(教員も含めて)は特権階級なのである。

よほどのことがない限り定年まで勤めることができる。

まず潰れることはない。

「安定」を求める人たちからすれば、公務員という仕事は垂涎の的なのである。

 

「自分たちだけおいしい思いをしやがって」という嫉妬によって、ちょっとした問題を起こしただけでも公務員バッシングが起こる、というメカニズムは分かりやすい。

けれども、一見「おいしい思い」をしていると見える仕事は公務員以外にもたくさん存在する。肉体的な負荷は大きくないと見えて、多額のギャランティを得られる仕事はいくつもある。芸能人や医者や弁護士、世襲の経営者・政治家などなど枚挙にいとまがない。

 

僕たちは公務員、特にエリート官僚が本能的に嫌いである。

それは公務員という存在が僕たちの収入から税金という形で「収奪」をし、国家や自治体に「寄生」する存在だからである。しかも権力や権限を握っている。国家や自治体の寄生虫のくせして偉そうにし、僕たちを統制しようとする。

公務員は例えば年収600万円の収入を確保しようとするとき、600万円以上の額の税金を取り立てる。直接的に公務員の給料分の税金を払え、となると国民・住民は必ず反発する。そこで、仮に1500万円の税金を取り立てたとして、600万円は自分の給料に充てて、残りを社会インフラの整備や社会保障などに充てる。しかもその配分は公務員の権限として自分たちで差配する。

まさに公務員は税金に寄生して生きている存在なのである。

 

公務員バッシングの根底には、上述のような公務員の存在意義、つまり税金に寄生していてしかも税金を好きなように分配する権限をもつ存在である、という根源的な不信がある。

単なる嫉妬や羨望だけでは説明がつかない根深いものがあるのだ。

逆に言えば、税金に寄生できて、税金の使途を差配できる権限を持っている仕事ということで、自分の子どもだけはそのような「おいしい思い」をさせたい、と願う人たちが多いのである(本来ならば、自分自身がおいしい思いをしたい)。

このような錯綜した思いが公務員バッシングを生み出し、問題をややこしいものにしているのである。

 

公務員は必要悪である。

国家や自治体の存在があるかぎり、それらを存続させるためには公務員の存在は必要不可欠である。

共同体があり、その維持運営の実務をボランティア的な人たちが担えば公務員は不要となる。しかし、現実的にはそんなことは無理である。

だから、「公務員」という存在を認めざるを得ない。

公務員という存在を認め続けている限り、これからもずっと公務員バッシングは起こり続ける。

ただ、この公務員バッシングが「庶民の不満のガス抜き」で留まっているうちは大勢に影響はないし、社会の秩序が壊れることはない。

そして、公務員バッシングを自分の人気取りの手段とする政治家は最も警戒すべき存在であり、ろくでもない存在である。

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