希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

僕の「役に立たない」読書論・読書術を書いてみる件

僕にとって読書は趣味ではなく生活の一部となっている。

読書の時間を捻出するために今の働き方、生き方を選択したと言ってもいい。

社労士事務所を営んでいた頃の末期、僕はうつになっていて読書量が激減した。とても本を読む気になれなかったのだ。そんな状況が数年間続いたこともあり、今はその失われた時を取り戻すために以前よりも増して読書にいそしんでいる。

 

いや、「いそしんでいる」という表現は適切ではない。僕はなるべく読書を「楽しむ」ことにしている。

仕事に役立てようとか、自己啓発のためとかいった目的で読書をしていない。僕には知らないこと、知りたいことが沢山あってただそれらを知りたいがために読書をしているのである。

確かに多くの知識を取り込んで生きていくうえでその知識をアウトプットすることを読書の目的にしているという一面もある。このブログのネタを得ようとして何がしかの本を読むこともある。

でも、やはり僕は「楽しむ」ために読書を続けているのである。

 

僕の読書のやり方は3、4冊の本を同時進行で読み進めていくというものである。ジャンルがバラバラの複数の本を同時に読み進めている。

例えば今このブログを書いている時点で読んでいる著書はこのような感じとなっている。

・『待場の共同体論』 内田 樹

・『大衆モダニズムの夢の跡』 竹内 洋

・『学力とは何か』 中内 敏夫

・『7大企業を動かす宗教哲学』 島田 裕已

一冊の著書を集中して読破するのではなく、複数の著書を細切れにして同時に読んでいる。このような読み方にした理由は特にはない。あえて言えば、同時に何冊かの本を読んだ方が面白いから、といった単純な理由である。

 

僕はビジネス書や自己啓発ものといった類の著書は読まない。これは単に僕の趣味嗜好の問題である。ビジネス書に近い領域の組織論や労働問題の著作を読むことはある。自己啓発関係の本については昔から肌に合わない。

社労士事務所を営んでいるときは社会保障関連の実務書や労働関係の判例集、人事労務関連の専門書等を読んでいたが、これは業務遂行のために必要だから読んでいた。これらの大半の内容は忘却の彼方に去っている。すぐに役立つような知識は忘れてしまったけれども、そうではない理論的な事柄や包括的な内容については今でも覚えている。僕にとって十分にその当時の読書の効用があったということだ。

 

なぜ僕が読書にこだわるのか。

それは僕なりにこの社会の成り立ち、根本的な原理、生き延びるための智慧等を知り、得た知識や智慧をベースにして何か事あれば実践するためである。本で学んだ知識など役に立たない、という人もいるが僕はそうは思わない。実際に自分が経験できることなどたかが知れている。経験主義を否定はしないが、それにこだわってしまうと視野狭窄に陥るおそれがある。

それにすぐに役立たないからといって読書をやめる気にもならない。

一見役に立たないからこそ、読書をし続けている、ともいえる。

読書に即効的なものを求めるのはいかがなものか、と僕は思う。

 

読書に楽しさを感じられなくなった時、僕は生きがいを失ってしまうだろう。そんな時が死の間際まで訪れないことを僕は切に願っている。

 

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