僕はこのブログで書評やテレビ番組等の感想は書かないようにしている。
なぜなら、「旬」なものを書くと後々読まれなくなるからだ。何より面倒くさくて好きではない。感想や批評ありきで本を読んでもテレビを観ても純粋に楽しめなくて面白くない。
そういう僕ではあるけれども、phaさんが出ていた『ザノンフィクション』についてはちょっとだけ言いたいことがあるのでこのブログに書くことにした。
僕はphaさんが書いた本のファンである。phaさんの生き方に全面的に賛同するわけではないけど、共感をしている。
『ザノンフィクション』ではphaさんの日常生活をメインとしてカメラを回し、そして彼が運営する「ギークハウス」の住人との関わり合いを丹念に追っている。
「ギークハウス」の住人は一癖も二癖もある人たちである。いわゆる世間で真っ当とされる生き方をしていない人たちが多い。ただ、自分の得意なことや好きなことを自由にしていて幾ばくかの稼ぎを得ている。無職だかフリーランスだかニートだかよく分からない働き方をしている。
まったりと生きている、といった言い方が正しいのかどうか分からないけれども、あくせくとしていないのは確かだ。
この番組に対するネットでの反応は賛否両論といったところである。
否定的な書き込みについては紋切型のものが多い。確かにつまらない仕事を何とかこなし、日々の生活を汲々と営んでいる人たちから見ればイライラするだろう。そんな人たちからすれば一見自由に見え、好きなように生きている彼らは目障りである。労働至上主義的イデオロギーに洗脳された人たちからすれば、彼らは排除すべきものである。
一方、ひきこもり系のニートからすればphaさんや「ギークハウス」の人々はニートとはみなされない。仲間とのコミュニケーションは豊かだし、何だかんだ言って稼ぐ手段を持っている。また、ひきこもり系ニートの悲惨さを怖いもの見たさで見たい人たちにとっても肩透かしとなる。
確かに「正社員」として働いている人たちと比べると収入は低い。はっきり言って「ビンボー人」である。しかしながら、とても「貧困」だとは思えない。ビンボーを楽しんでいるようにさえ見える。
phaさんや「ギークハウス」の人々は働くこと躓いたり、働くこと自体が嫌いだと明言している。働くことを忌避しながらも自力で生きる道を模索している。ここがキモだと思う。
よくよく考えてみると、高度経済成長期以前、あるいはもっと昔には働いていなくても何となく生き延びている人たちが多く存在していた。「働かざる者、食うべからず」といった労働至上主義イデオロギーが浸透したのはつい最近のことである。しかも、共同体から引きはがされて「個」として自立して生きていかなければならない、というイデオロギーも付け足しされている。
phaさんはとても仲間を大切にしている。家族や会社といった従来のものではない新しい形のコミュニティを形成している。しかも、ウェットな関係ではなく、一見ドライな関係の仲間とコミュニティを創っている。この点も見逃せない。流動性の高い、そしてゆるいつながりのコミュニティ。この手のコミュニティが増えてくれば、生きやすくなる人たちが増えてくる、と僕は思う。
phaさんや「ギークハウス」の人たちのような人が増えると社会が立ち行かなくなるという意見がある。そんなものは杞憂であるし、経済成長至上主義や労働至上主義が唯一の価値観となる社会なんかよりよほど健全である。
働くことができない人や働くことが辛い人たちはいつの世も一定数社会に存在する。そんな人たちが公的な扶助を受けることなく、社会のどこかに居場所を確保して、何とか仲間たちと助け合いながら自力で稼ぎ、生き延びることができる社会であれば良い。
自分の価値観に従って自由にのんびりと生きることは決して悪いことではない。
カネを多く稼ぐことや社会的地位を上げることだけが人生ではない。
快楽や心地よさを追い求める生き方を否定してはならない。
僕が常日頃考えていることを代弁してくれている、そんなドキュメンタリーであったと思う。
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