僕は特殊な才能もないし人より特段優れたものを持っていないごく平凡な人間である。
いや、平凡以下かもしれない。
フルタイムどころかパートタイムで働くことにも難儀しているようなダメ人間である。世の中の多くの人がこなしていることを満足にできないようなダメダメ人間なのである。
こんなダメ人間の僕ではあるけれども、中学生のころまでは夢と希望にあふれて、人生を前向きに考えていた。
小中学生のときにはなぜだか成績が良かったのである。学校の勉強は好きではなく、予習復習なんて全くしなかったし塾にも通っていなかったけど常に成績は学年のトップクラスだった。これは自慢でも何でもない。ただの「井の中の蛙」状態だったのだ。
中学校のときに常に学年で一番だったT君という友人がいた。このT君は天才肌の人で彼も全くと言っていいほど勉強をしていなくてその当時珍しかったマイコン(今でいうパソコン)を持っていて、自分でプログラミングしてゲームを自作していた。
僕は朧気ながら、彼には敵わないかも、と思っていた。朧気ながらというのは、僕はきちんと勉強すればT君と対等になれるのでは、と考えていたのだ。
僕とT君は同じ高校に進学した。僕と彼との差は広がるばかりだった。
結局T君は現役で京都大学に楽々と合格し、僕は第一志望の国立大学を落ちて私大に進むことになった。
僕は「上には上がいる」ことを確信した。朧気ながら感じていたT君との埋めようもない差があることを思い知り、その現実に打ちのめされた。僅かばかりのプライドが砕け散った。
世の中にはT君のような人が沢山いて、いわば「選ばれし」存在である人が存在し、僕なんかはその他大勢的な存在に過ぎない、と認識したのである。
僕は早い段階で「上には上がいる」ことを気付かされて良かったと思っている。「上」ばかりを目指し、競争に明け暮れる生き方に疑いを持ったからだ。
ある分野でトップに立つことができなくてもいい、そうでなくても自分なりの楽しい人生を送れるはずだと思えるようになった。
自分の居場所を見つけて、自分なりの生き方を確立すれば幸せになれるかも、と考えたのである。ただ、この考えが確かなものとなるのは僕が40代を過ぎてからのものとなる。このブログでもたびたび書いているが、僕が40代を過ぎて「キレて」しまってそれまでの生き方を捨てたときに昔に思ったことが現実化したのである。
今から思えば、僕はすでに中学生の時にT君に対して「上には上がいる」と感じていたのかもしれない。それを素直に認めるのが嫌なので、高校まで先延ばししていたのだと思う。記憶が風化してしまっていて、今となっては確かなことは分からない。
僕は今、完全にダメ人間であり、日を追うごとにそのダメ人間度が上がっている。それとは引き換えに、ちょっとだけ「やさしい」目線で世間からつま弾きにされた人たちを見ることができるようになった。世間で「真っ当」とされる生き方や価値観に懐疑的になった。「上には上がいる」ことに早く気付くことができたことの効用だと勝手に思っている。
僕は今、経済的な豊かさには程遠いけれども、そこそこ人生を楽しむことができている。上には上がいても全然いいじゃないか、と自分に言い聞かせながらも。