僕は本質的には素直な人間ではない。天邪鬼のひねくれ者である。
ただし、雇われて働くうえで、勤め先では「素直」さを装うようにしている。その方が何かとうまくいくからである。世の多くの人は素直な人を好む。そこが僕は気にくわない。
初出 2016/1/7
人が成長するために最も大切なことは素直であることだとよく言われている。大抵の自己啓発物では素直に人の話を聞くことを薦めている。
僕のような天邪鬼ですぐに人の言うことを信用しないような人間は成長しないらしい。
素直さが大切だ、ということは確かに一理ある。
特に会社をはじめとする組織の一員となったときには素直さが武器になる場面が多い。上司や先輩のアドバイスに素直に従う人のほうがウケが良いことになる。素直な人は扱いやすいし、素直な部下を引き立てようとする心理は理解できる。
しかしながら、ひねくれ者の僕としてはちょっと待てよ、と言いたくなる。
あまりにも素直すぎると批判精神が損なわれてしまうのではないかと心配になる。また、「個」を喪失しやしないかと憂慮する。
もっと大きな視点で見れば、国家や会社に従順で、それらに滅私奉公する人間こそ立派な人間だとのまことにエスタブリッシュメントにとって都合の良い人間観が跋扈するおそれがある。
僕の大学時代のゼミの指導教授は批判精神を持ち続けること、「常識」を疑うことの大切さを常に説いていた。世間で当たり前のこととみなされている様々な慣習・しきたり等に疑いもなく従うことの危険性を意識せよと力説していた。
自分の頭で物事を考えず、安易に権威に従うことは楽ではあるが、本当の意味で自分の生を全うしているのかと問われれば、答えは否である。
僕はゼミの指導教授の教えを忘れないようにしてきた。できる範囲で実践してきたつもりである。時として「素直」な人たちと軋轢を生じながらも。
よくよく考えればこの国の教育・学校、特に義務教育では素直な人間を作り上げるために存在しているように思える。決して国家に抗うような人を生み出してはならない、現行の資本主義体制に疑問を持ち否定するような人を生み出してはならないと。
素直に勉強して、成績を良くして、いい高校・大学に入り、いい会社に従順な労働者として入り、社会に不満を持つことなく、分相応の人生を送ることを僕たちに強いている。
僕は思う、強く。
「素直」であることは決して美徳ではない。
力ある者によって容易に操られることになる。
「抵抗」する力を削がれることになる。
「素直」さを殊更に賞賛し美化する風潮に抗っていきたい。