希望の舎―再生編ー

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カネを多く稼いでも成功者であるとは限らない件〈再掲〉

少しでもカネを多く稼げるようになりたい、と大抵の人はそう思う。

カネだけがすべてじゃないとはいえやはり世の中はカネ次第であると多くの人は思っている。

でも、カネを稼ぐ人が偉いという風潮にも抗いたくなる。

 

初出 2015/12/25

 

資本主義体制下の社会ではカネを持つものが成功者とみなされる。実際、世の中の殆どのモノはカネで買えるし、殆どの問題はカネで解決できる。

だから僕たちは少しでも多くのカネを得ようと必死に働くのだ。

カネさえあれば豊かな生活を営むことができる、カネさえあれば幸せになれると思い込んでいる。

同時に社会的な地位や肩書や名誉を得ることにも邁進する。

他者からの評価基準をいかに多くのカネを稼いでいるか、その結果としていかに高い社会的な地位を得ているかに収斂させている。

この社会での「成功者」とは、カネと地位を手に入れた人たちだと一般的には解されている。

 

ここでビンボー人であり社会的地位も肩書もない僕のような人間は待てよ、と思う。

果たして経済的な成功者は本当に幸せなのかと。

僕は物質的な豊かさよりも精神的な豊かさが大切などという尤もらしい言説に従って疑問を呈しているわけではない。カネはあった方が良いに決まっているし、地位や肩書があった方が良いに決まっている。衣食住が事足りてこそ、精神的な余裕が生まれてくるものだ。

僕が言いたいのは、経済的な成功を収めている人たちは、自分が何者であるかということによって賞賛されているのではなく、自分が何を「所有」しているかによって評価されているのではないかということである。世間の評価の基準がその人自身にあるのではなく、その人の所有する「モノ」にあるのではないかということだ。例えば、豪邸や高級車や貴金属等の高価なモノをいかに多く所有しているかで判断されているのではないかということである。

仮に経済的成功者が事業の失敗等によりモノを失ったら、評価は急落し、誰からも見向きもされなくなることもありえる。

モノを失えば即アイデンティティを喪失するという恐怖を常に抱いている人たちを、僕は「豊かな失敗者」と呼んでいる。

一方、モノを失おうが、カネを失くそうが、自分が何者かを熟知している人たちもいる。

本当に強い人間とはこのような人たちのことを言うのではないだろうか。

 

カネも無く、地位や肩書もないが、自分が何者であるかを分かっている人こそが「成功者」ではないかと、僕は思っている。

カネやモノを多く持っていても、それを自身の存在価値としている人たちは脆いものだ。

 

僕は「清貧なる成功者」となりたい。

 

   

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