僕は今でこそ怠け者のダメ人間であるが、40歳になる頃までは仕事に情熱を傾けていた。
社会的に成功して経済的に豊かになりたい、地位や名声を得たいと本気で考えていたのだ。
そして心の奥底では没落した我が家の家名を上げたいとの思いがあったことは否めない。
冷静に考えればまさに時代錯誤も甚だしい。
けれども「家名」を上げることが仕事に対するモチベーションになっていたことも事実である。
僕は家柄というものは幻想だと思っているし、家柄や生まれで人生が左右されるなんて不条理だと考えている。
しかし我がの身になってみるとその不条理を乗り越えられない。
僕の父は優秀な人であった。
仕事もできるし人望もあった。
戦争によって高等教育を受ける道を閉ざされ、当時の逓信省や地方銀行で勤めたものの何らかの理由でその職を追われ(生前に詳しい話を聞くことはなかった)、以後職を転々とした。その高い能力が社会的地位につながることなく生涯を終えた。
父は時折無念の思いを僕に吐露した。しかし、僕には自由に思うがままに生きればよいと言い、「お家復興」せよとは一言も言わなかった。
僕は自然と自分は家名を上げなければならないとの思いを抱くようになったのである。
根がダメ人間の僕だけれども、お家再興のために心に身体に鞭打って社会と向き合い続けた。
でも所詮はダメ人間である。
世間での競争に嫌気がさし、本来の自分とかけ離れた生き方に疲れ、元のダメ人間に戻ったのだ。
家名を上げるために自分の人生を捧げることがバカらしくなったのである。
人生を楽しむことに主軸を置くことに変えた今の生き方を僕は正しいと思っている。もうこの生き方を変えまいと思っている。
しかし、心のどこかで父に済まないという思いも常に抱いている。
僕がダメ人間なりに自分自身を少しでも向上させようとしているのは、この悔恨の思いを晴らすためである。
僕の今の生き様は決して褒められたものではない。
草葉の陰で父はどのような思いを抱いているのだろう、と僕は時々考える。
一方で、自分の生き方は自分で決める、人にとやかく言われる筋合いはない、との思いも強く持っている。
僕はずっと父の影と自分のエゴとの間に挟まれながら、生き続けていく。
死ぬ瞬間まで答えの無い問いを受けながら。