一旦会社に勤めたならば3年は我慢しなければならない、と巷でよく言われている。「石の上にも3年」という故事成語に由来するのかよく分からない。この言説は根拠のないウソである。ただの精神論・根性論の類に過ぎない。
とは言え、一理はある。
精神論が大嫌いな僕ではあるが、世の中を渡っていくときには多少の我慢・忍耐は必要であることは分かっている。自分の思う通りにならないことがあったり、嫌な奴と仕事をしなければならないことなんてザラにある。そのたびごとに投げ出していたら、他者からの信頼は得られないし、人としての成長がストップしてしまう。生きていく上では忍耐も我慢も必要である。ごく当たり前のことである。
ただし、ものには限度がある。個人差はあるが、我慢や忍耐の限度ってものがある。臨界点を超えた我慢をしていると心が破壊されてしまう。心身を壊してまで我慢なんてすることはない。
特に会社勤めにおいてはこの臨界点を低めに設定しておいた方がよい。
限界を超えた我慢をし続ける合理的な理由はない。
会社なんて幾らでもあるし転職すれば済むことだし、その会社に尽くすことなんてない。
その会社に勤め続けることが苦痛であるならば、勤続年数なんかにとらわれずに即刻辞めてしまえばよいのである。
苦痛このうえない職場で3年も勤め続けることなんて時間の無駄遣いである。その職場で汎用性のあるスキルを得られるとしたならば一考の余地はあるが、そのようなレアケースのときでも一定のスキルが身に付いたなら即刻辞めてしまえばよい。
上司が3年は勤めなければ云々を言い出すのは、部下が辞めれば自分の評価が下がるからであって、自己保身のためなのである。
そもそも働くことが苦痛な職場で身に付くものなんて殆どが大したものではない。専門性の高い部署で専門性の高い職種に就いていれば話は別だが、大方の人は誰にでもできる仕事をして、勤続年数が積みあがってキャリアが上がりスキルが身に付いていると錯覚しているだけなのだ。その会社でしか通用しないキャリア・スキルが身に付いただけなのである。
かつては短期間で転職を繰り返すことを「ジョブ・ホッパー」と言って一般的にはダメなことだとされていた。確かに職種もバラバラで転職するたびに処遇が下がる「ジョブ・ホッパー」は問題があるかもしれない。しかしながら、一定の処遇を確保しながらの「ジョブ・ホッパー」的な働き方は良い面もある。会社というものは信頼に足らないものだと割り切って、会社を利用する働き方は労働者の処世術としては優れていると思う。退職金だけを楽しみにする働き方なんて時代錯誤だし面白くない。ただの会社の奴隷である。
ちょっと話が逸れてきたので元に戻そう。
ある会社で3年我慢して勤め続けたとしても、結局は得るものは少ないことになる。多少の忍耐力が付くだけである。下手をすると「諦め」の気持ちが根付いてしまう。これこそが大問題である。忍耐力と諦めがセットになると自分の頭で物事を考えることができなくなり、自律的に生きられなくなる。世のサラリーマンの多くはこのような状態に陥っているのではないだろうか。
忍耐や我慢なんて美徳でも何でもない。
それらを美徳だと持ち上げる会社社会の論理がおかしいのである。
あるいは世間の常識が歪んでいるのである。
どうしようもなく嫌ならば、会社なんて即刻辞めてしまってもよい。
3年は我慢しろ、というのは悪しき精神至上主義・根性論以外の何物でもない。根拠のない俗論であり、ウソである。こんなものに惑わされてはならない。