僕は勤労意欲に溢れた人を羨ましく思っている。
基本的には人は生きていくためには何らかの形で働かなければならない。
勤労意欲が低いということは致命傷になりかねない。
初出 2015/8/11
僕は昔から勤労意欲が低い人間だった。
大学時代は必要に迫られたときにしかアルバイトをしなかった。継続的にアルバイトをするなんて、僕にとっては苦行以外の何物でもなかったのだ。だから専ら単発のアルバイトをしていた。当時はアルバイト情報誌の中身が充実していたし、先輩からよく仕事を紹介されたりもした。アルバイトをしようと思い立ったら、何らかの仕事がすぐに見つかった。
僕は働くこと自体がイヤなのではない。
雇われて働くこと、決まった時間に職場に行きその職場で居続けることがたまらなく苦痛に感じるのである。
社労士事務所を営んでいたときには仕事をすることが楽しかった(別の苦労はあったが)。専門学校の講師にしても、かなりの裁量を与えられていたから何の苦痛もなく仕事ができた。
結局のところ、僕は雇われて働くことになると勤労意欲が極端に低下してしまうのである。正社員だろうが非正規雇用であろうが関係ない。「安定」した働き方など僕にとっては何の慰みにもならないのだ。一見自由に思えるパートや派遣社員にしても、雇われて働くことに変わりはなく、苦痛であることには変わりはない。
僕が生きていくためには自分で自分のシノギを作るよりほかに手立てはなさそうである。言いかえれば自分なりの「ナリワイ」を見つけて、そのナリワイを小さく始めて、ちょっとずつ育てていく方法がベストなのかもしれない。僕は欲しいものも殆どないし、生活費はそんなにかからない。自分のペースで仕事をこなしていける環境にある。
このブログのサイドバーに「ナリワイをはじめました」というリンクを設定した。先日思い立って簡単なウェブサイトを立ち上げ、そのサイトへのリンクを貼ったのだ。
僕が今までに積み上げたスキル、事務作業や文書作成、相談ごとにあたるなどの自分が人並み以上にできそうなことを請け負えればと思ったのである。いわば体力仕事ではない便利屋的なナリワイを思い立ち、早速簡単なウェブサイトを作ったわけである。正直な話、それほど多くの依頼が来ることは期待していない。しかし需要は結構あるはずである。僕のシノギのひとつになれば万々歳だと思っている。
僕は自分が勤労意欲が低いということに対して悲観することはしないことにしている。
勤労意欲が低いという事実を逆手にとって生き延びようとしている。
世の中はそんなに甘くはないぞ、とのお叱りを受けそうだがさりとて世の中なんとかなるものだと僕は楽観的に考えている。
まあ、変なプライドなぞ捨てさえすれば、人は生きていけるはずである。