希望の舎―再生編ー

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社会人=会社で働いている人ではない件

僕もそうだがわりと無造作に「社会人」という語を用いてしまう。深くは考えずに、ただ単に学校を卒業して働いている人を社会人としてカテゴライズしている。

 

ちょっと考えてみると、働いている人だけを社会人とするのはおかしいことだ。

子どもだろうとお年寄りだろうと障害者だろうと働いていなくても立派な社会人である。同様にニートであっても引きこもりであっても立派な社会人である。

 

「社会人」であることを強く意識するのは学生から労働者に移行するときである。

会社は新入社員に「学生気分」からいち早く抜けることを強いてくる。学生気分のままでは一人前のサラリーマンにはなれないと、会社の掟を強要する。

これもおかしな話だ。

サラリーマンだから責任感があって学生には責任感がないという根拠は全くない。勤め人でも無責任な奴はゴマンといるし、学生でもほとんどの人たちはきちんとしている。

極言すれば会社に勤めるようになったならば、会社の掟に盲従する奴隷になれ、と言っているのである。

つまり、社会人とは会社の論理に絡め取られ、そのことに疑いを持たない会社人間なのだとごく狭い解釈になってしまうのである。

 

この国では8割前後の人たちが会社に雇われ働いている多数派である。多数派であるが故に、会社の論理が世の中の正しい規範を形成していると勘違いしている。だから会社に勤めている人が即社会人であるという誤った感覚を持ってしまうのである。

 

僕の身に照らし合わせてみても、大学を卒業して働くようになったときに妙に緊張感を持ち肩肘張っていたことを思い出す。

別に学生気分を持ったままで働いても何の問題もなかったのだ。ルールやマナーを習得してそれらを守っていれば仕事に支障はない。人を社畜化しようとする同調圧力に内心で抵抗しても良かったのである。

 

働いていなくても僕たちは社会にコミットしている。社会の一員として自分の役割を果たしている。会社で働く人とそうでない人を区分けする必要性は皆無なのである。

 

この「社会人」の限定した解釈はとりもなおさずこの国が会社社会であること、労働至上主義に侵されていることを表している。

 

僕は今後、社会人という語を安易に用いないように注意していきたい。そして、この語を限定的に解釈しないように注意を払っていきたい。

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