僕が人並みに働いていた頃は仕事のことで頭がいっぱいで社会問題にまで気が回らなかった。読書量も極端に落ちていた。
いろいろと物事を考えるためには当然のことながら時間の余裕が必要となる。
初出 2015/7/21
僕がヒマ人的生き方を選択して良かったことがある。それは物事をよく考えるようになったことと、自分が興味を持つ領域が広がったことだ。
時間が余っているので、興味を持った事柄を自分なりに調べ勉強することができる。メディアが垂れ流す情報を疑い、無自覚に受け容れることがなくなった。
僕が正社員として働いているときは読書量が激減し、社会の抱える問題に無関心だった。働くことにほとんどの精力が吸い取られていた。
今、政治に無関心な人が多いとか社会問題にコミットしないとか言われているが、それは当然のことである。ほとんどの勤め人には余力が残っていないのだ。日々の労働によって精魂が尽き果てているのである。
エスタブリッシュメントにとっては願ったり叶ったりである。支配層の無為無策、庶民の生活を破壊するようなことをしてもほとんど抵抗がない。社会の歪みや矛盾を放置しておいても反抗の声を上げる者がいない。しかも、経済成長のために働きづめに働いてくれる。
支配層にとって排除すべきなのは、ヒマでかつ社会問題にコミットする人たちだ。この社会では少数派なのだけれども、喉に突き刺さった小骨のようにちょっと厄介な存在なのである。
支配層にとっては幸いなことに、世間ではこれらのヒマ人は「真っ当な」人ではないとの偏見があり、異端者として排斥してくれる。
僕はヒマ人的生き方をするようになって、この社会のあり方の根源的なものに興味を持つようになった。
労働至上主義への疑問、貧困問題、教育問題、資本主義・新自由主義に対する反発、働き方、フリーター・ニート・引きこもり、悪しき精神主義などなどである。
どれも一朝一夕で解決する問題ではないが、自分なりにコミットし問題意識を持ち続けていきたいと思っている。
僕にできることなんてたかが知れている。無力だと言ってもいい。この社会を変えることなんてそうそうはできないことも分かっている。
しかし、この社会に数多の問題があることを承知しながら、それらを他人事の如くやり過ごすことはできない。自分の非力さを知りながらもせめて一矢を報いたい。硬い岩盤の縁を削り落としたい。
僕はヒマ人の特権を活かし、自分なりにこの社会と向き合うためによくよく考えていきたい。
そして、実践できる「場」に加わりたい。
特定のイデオロギーには捉われることなく。