希望の舎―再生編ー

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この国では相手を肩書や役職名で呼ぶことが伝統である件

僕が以前勤めていた職場では上司を~さん付けで呼ぶことになっていた。肩書や役職名で呼ばないようにしている職場も少なくない。

欧米諸国ではファーストネームで呼んでいるようだが、まだそこまでには至っていない。ただ、欧米諸国でも公私の区別はしていて、公式の場では役職名で呼びプライヴェートではファーストネームで呼ぶようである。

 

この国では仕事外の場でも役職で呼ぶことがまだ一般的である。この慣習を時代遅れだとかいう人もいるが、時代遅れなのではなくこの国の伝統なのである。

もちろん会社=社会という価値観の下では役職は公私共に及ぶという面もある。

 

この国では(かつての中国も)本名を呼んではならないという慣習があった。本名を「諡名(いみな)」と言い、忌み名とつながり、本名を呼ばれることは不吉なことであったのだ。

歴史ドラマを見ていると、例えば「信長様」とか「家康様」と家臣が呼ぶ場面があるが、当時では決してありえないことなのである。主君を本名・諡名で呼ぶなんて不敬であり、掟破りの所業なのである。主君を、あるいは身分が高い者の呼び方を諡名にしているドラマは時代考証がお粗末なのである。

昨年の大河ドラマの「軍師官兵衛」の主人公の諡名は黒田孝高であり、「官兵衛」は通称名である。主君の秀吉や同輩の大名は「孝高」とは呼ばずに「官兵衛」と呼んでいたはずである。または朝廷から授かった官職名で呼ぶならわしであった。

織田信長の場合、まず家臣は「お屋形様」と呼ぶ。朝廷や足利義昭、他の大名は当初の官職名である「上総介」殿と呼び、後に右大臣となり(すぐに返上したので)「前右大臣」様と呼び方が変わる。

つまりある程度の身分になれば、まず官職名で呼び合い、私的な場では通称名で呼び合っていたのだ。

明治より前の時代、特に武士階級では「名前」は幾つもあった。幼名、通称名、官職名、諡名そして出家したら法名というように。黒田官兵衛は晩年に出家して「黒田如水」と名乗った。

ちなみに西郷隆盛の諡名である「隆盛」は実は違っていたという話がある。西郷は「吉之助」という通称名が知れ渡っていて、その本名・諡名を知る者がいなかったらしい。

 

このようにこの国では、本名を呼ぶことを忌み嫌い、官職名や通称名で呼び合うことが習慣となっていたのである。

この伝統を鑑みれば、役職名や肩書で呼び合うことも別におかしくはない。また、役職で呼ばれて良い気分になっている人たちも多いだろうから、この習慣を無理になくす必要はないと思う。

 

僕は友人や恋人を名前で呼ぶことには躊躇いがある。僕自身も名前で呼ばれることは好きではない。これはこの社会に脈々と受け継がれているDNAが影響している、のかどうかは分からない。

 

歴史ドラマを観るときに、どのように登場人物が呼び合っているかに着目しても面白いかもしれない。 

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