中高年の求職者を揶揄する小噺として、就職面接の場で「部長ならできます」と答えた人がいたというものがある。市場の評価に耐えうる自分のスキルをアピールできない哀れな中高年者を嘲笑する悪意が潜んでいる。
そこには自身のスキルを例えば経理なら決算までできるとか、人事総務なら人事システムを構築できるなどの実務に堪能であることをアピールするという暗黙の前提がある。
また、課長や部長などの中間管理職の経験はスキルとはみなさないとの暗黙の了解が存在している。
確かにこれまでのこの国の会社では、管理職の登用はマネジメント能力を考慮するというよりも、いわば年功の「ご褒美」的なものであった点は否めない。ある一定の年齢と勤続歴に達したら、選考はあるにしても、マネジメント能力を重視せずに管理職に登用していたのだ。バリバリの営業マンが管理職になったとたんに精彩を欠くようになる、ということはざらにあったのである。
上述した小噺は他国のビジネスマンには理解されないらしい。管理職なら自信がある、というアピールは至極真っ当なものであるとの考えを持っている。管理職の経験もアピールできるスキルだということだ。
他国では管理職はマネジメント能力を備えている人がなるものだという理解があるのだ。
欧米諸国ではこの国のような新卒一括採用というシステムを採用していない。ただ、会社のエリート養成を目的としたカードルなど新卒でも厳選して採用し、彼ら彼女らはマネジメント職を歴任する。よってそのようなエリートはマネジメント能力を磨き、それをアピールポイントとするようになる。転職に際しても、管理職としてのものになる。
この国では今はエリート採用は殆どない。官僚にしてもすぐに管理職になれるわけではない。割合に早く管理職となるのは警察庁や財務省(若くして地方の警察署長や税務署長になる)くらいである。戦前は帝国大学卒業者ならば早期選抜があったという。初任給も早慶や私大卒業者よりも高くて、格差があった。今のように大卒者一律初任給ではなかったのだ。
従来の終身雇用・新卒一括採用のシステム下では誰にでも出世のチャンスがあるとの幻想を社員に抱かせて、職種・勤務地等を無限定で働かせることができた。管理職への昇進もある程度は約束できた。逆にそれが転職市場における管理職の価値を低下させてきたともいえる。
今後、管理職となるにはマネジメント能力を問われることになると、管理職の価値が変化するかもしれない。
マネジメント能力を磨くエリートの一群を新卒採用するか、あるいはかなり早期の段階で選別する流れが優勢になるかもしれない。
「部長ならできます」という小噺が死滅する日が近い将来に訪れるかもしれない。