ビンボー生活を悲惨なものとしないために、僕なりに工夫して生活している。
陳腐な表現になるけれども、少しばかりの「希望」を持っていれば何とかなると思っている。
初出 2015/5/1
僕は結構長い間ビンボー生活を続けている。親と同居しているので寝る所と食うには困らない。
老後の不安が全く無いと言えば噓になるが、まあ何とかなると鷹揚に構えている。
ありがたいことに物欲が殆ど無いので無理に多くのカネを稼ぐ必要が無い。できるだけ自由に過ごせる時間が欲しいので働く時間を減らしている。
要は怠け者である。
自由な時間を確保して何をしているか、と言えば読書と妄想(?)に費やしている。
僕にとって読書と妄想はワクワクする時である。
僕は意識は低いが知的な好奇心は強くて様々な分野の知識を吸収したいと思っている。
決して役に立つとかカネ儲けにつながるような書を選んでいる訳ではない。僕の興味の赴くままに本を選んで読んでいる。
妄想の方はスケベなものではない(たまにするけど)。雇われずに何らかの面白い仕事を自分でするとすれば、どんな仕事が良いか色々と思い巡らしているのである。元手をかけずに、生活に必要な最低限の稼ぎができるような仕事を考えている。そして、妄想が妄想で終わらないように、近い将来この小さな商売が実現できるように具体的に検討している。
読書をしているときや、妄想しているときのワクワク感は何物にも変え難い。それだけで僕は幸福感を覚えるのだ。えらい安上がりの幸福である。
これらは断じて現実逃避ではない。僕なりに社会と向き合っている。現実と対峙している。
僕はかつては人並み、あるいは人並み以上に働き、それなりの上昇志向を持っていた。より多くのカネを稼ぎ社会的な地位を手に入れようとあくせくしていた。その時には少しもワクワク感がなかった。何かに急き立てられているような感じしかしなかった。大げさに表現すれば、生きているという実感がなかった。
そんな生き方に疲れ、社会のレールから降りてようやく生きているという実感を得ることができた。本来の自分に戻ることができたのだ。ダメ人間であることを受け容れることができたのである。
僕は今はもう金持ちになることや名声を得ることや社会的地位を得ることを諦めている。
けれども自分の能力や資質に見合った小さな成功、小さな幸福を手にすることは諦めていない。
自分の身の丈に合った生き方を貫こうと思っている。
ビンボー生活から抜け出したいとは願っているが、無理をするくらいならビンボーのままでもいいとも思っている。
ワクワク感がある生き方を続けることができれば他に何もいらない。
ちょっと強がりも入っているけれども。