転職35歳限界説というものがある。
35歳を過ぎてからの転職は待遇が悪くなるし、そもそも転職自体が難しくなるという説だ。
だからこの説が正しいということになると、ある程度の年齢に達したら今いる会社にしがみつくしかなくなることになる。しかしそこは「安住の地」ではない。常にリストラ圧力に晒されながら働き続けねばならないケースもある。また、出世を諦めているのに、骨身を削って働き続けることを強いられることもある。
中高年の人たちの転職が難しいのは従来からある年功賃金的な縛りがあるからだ。例えば45歳で転職するとなると、一定規模以上の会社では管理職での採用が多くなる。この管理職自体が余っている状況なので、外部から管理職を登用する求人数の絶対数がかなり少ない。また給与額が高額になるためにかなりの厳選採用となる。ほとんどの中高年求職者は仕事にあぶれることになる。
これは役職のない社員の採用であっても同様である。年功的な賃金体系では年齢が高くなると給料もそれにつれて高くなるからだ。ならば中高年よりもスキルが低い若年者を低賃金で雇う方が会社にとって都合が良いことになる。
また、中高年の人たちを雇うと、その上司が年下になる場合がある。これも日本の会社は好まない。他にスキルがありすぎても扱いにくいし、他社の色に染まっていても使いにくいということもある。
日本の会社では大半が「人に仕事が付いてきて、人に値札(給料)が付いてくる」という特徴がある。中高年の人たちの転職が難しいという根本的な理由がそこにある。
逆に「仕事に値札(給料)が付いてくる」という職務給的な賃金システムならば、原則として年齢は大きな要素にはならない。営業や経理等のある職種についての職歴やスキルが重要視されるから、場合によっては中高年の人たちの方が好ましいことになるかもしれない。仕事に給料が付いてくるので、年齢が高いからといって給料がそれにつれて高くなることもない。同じ給料ならば、若年者よりも中高年者を雇おうというインセンティヴが会社に働くことにもなる。
ただこの職務給的な人事賃金システムでは、若年者失業が増加するというデメリットもあるのが問題となってしまう。
属人給的なシステムと職務給的なシステムの双方にそれぞれ一長一短がある。
労働市場では双方が並立して存在し、働く人たちが自分の適性や労働観・人生観に応じて選択できる柔軟なシステムにすれば多少は中高年者の就職難が緩和されるのではないかと思う。
また会社単位で考えても、出世ラインに乗って働く属人給的システムと出世ラインに乗らない職務給的システムとを並存させるような人事システムを採用する必要がある。
つまり、新規採用時には属人的な総合職で採用されても、途中で自分に合った職種が見つかり、幹部にならなくてもその職種で働き続けるということも可能なシステムを採り入れるのである。このような会社が多くなれば、中高年者の転職が現在よりは容易になると思う。
一つの会社で出世を目指して粉骨砕身働くという生き方・働き方のモデルは無理がある。
また、そのひとつのモデル・価値観を強いられる社会では生きづらさを感じてしまう。
人生のある時点で自分の生き方や働き方を見つめ直すこともあるだろう。転職はその際の選択肢のひとつである。
生き方や働き方を変えようとしても硬直化したシステムの下ではそれは難しい。
多様な働き方が認められて、自分に合った働き方が選択できるような社会にしないと、未来は暗いと僕は思う。