希望の舎―再生編ー

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非力ながら僕なりに差別について考えてみる件

以前にも差別について言及したが、モヤモヤした気持ちが拭えなかった。差別という大きなテーマを漠然と取り扱うには僕はあまりにも非力なのだ。

でも差別について語りたい欲求がある。

 

そこで今回は僕の知り得る限りにおいて、主に社会システムがどのように構造的に差別を生み出してきたかについて話していきたい。

 

日本が国家の体制を整えだした頃に隋・唐から律令制を導入した。その際の「身分」システムを「貴・良・賎」にカテゴリーした。

「貴」とは支配者層、つまり天皇家とその親族、貴族たちである。

「良」とは税を負担し、兵役の義務を負い、定住する者たちである。主に農民をイメージするとよいだろう。

「賎」とは雑民、商工民、遊女、傀儡師、漁労民、芸能民・非人等の非定住の「漂泊民」である。

ここで、「賎民」が一方的に差別される対象だったのなら話は分かりやすい。ところが「賎」は「貴」あるいは「聖」と結びつく。天皇家や寺社に「賎」なる人々は隷属していたのだ。供御人や犬神人等と呼ばれた賎民たちは良民から賎視されると同時に「常ならざる者」として畏敬や畏怖の念も抱かれていたのである。明確な上下意識はなかったと考えられている。

南北朝時代の頃までは「賎」とされる人々は、社会的な差別や迫害を明確に受けていたわけではなかったのだ。ところが、南北朝の動乱で既成の「貴」「聖」の権威が著しく低下し、それらに隷属していた賎民に対する差別が表に出てくる。

 

また「穢れ」の概念も重要なキーワードになる。死や出産等の血に関わる者が穢れている者として賎視された。具体的には皮革を扱う者、生き物を殺すことを生業とする者等である。医者や歯医者や獣医も賎視されていたという。

この死穢に関わる者に対する賎視はインドのカースト制にも見られるものである。一般に仏教の殺生戒が穢れの観念の源だといわれているが、原始仏教には殺生戒はなく、ヒンドゥー教の教義が伝わったとする見解が有力である。

 

定住せずに漂泊する人々と死穢に関わる者に対する賎視が、為政者の統治システムに組み込まれるようになるのは江戸時代の幕藩体制からである。幕府や藩が被差別民に対して統制令を発したり、居住地を制限することなどの行為により、社会的な差別が固定化された。

 

現代に(無理やり)当てはめるとどうなるだろう。差別する側であるマジョリティは定職を持つ人たち(主に正社員)である。賎視されるのはフリーターニート、ホームレス等の漂泊する人たちである。定住民が非定住民を差別し迫害するのは農耕(今では会社勤めか)メインの社会では世の常なのかもしれない。

 

ここで別の視点から少し。

 

かつては医者や芸能人も賎視の対象となっていたことだ。

医者は死や血に関わる仕事である。特に漢方医ではなく民間医は「野巫(やぶ)医者」と呼ばれ、その多くは被差別民だったという。

芸能はアニミズムシャーマニズムに起源を有し、漂泊の民だったことで人々から畏怖の対象となった。また主な芸能である歌舞伎は「河原乞食」、能は「河原所行」と呼ばれ、賎視されていた。各地を遊行する雑芸能者などは推して量るべしである。

現代では医師・芸能人ともに花形職業であり、収入も多いし社会的な地位も高い。

職業に貴賎はないというが、現実には職業間で報酬の格差がある。カネが稼げるか否かのみに価値基準を置くことには違和感があるが、資本主義体制の下では報酬の多寡で判断するのは仕方のないことである。

正確には職業の貴賎は厳としてあるが、それは絶対的なものではなく、時代や社会情勢や社会体制によって変化する相対的なものである、と言った方が正しい。

例えばキューバは医者も一般労働者も賃金額は変わらない社会である。かつての共産主義国家ではインテリ層が迫害された事実もある。

 

人が人を差別する根源的な理由は、社会的構造に起因することもあるし、人間の「業」によるものでもある。

 

僕たちは謂れのない差別を生む社会構造に異を唱えつつ、それでも人を差別してしまう「心の闇」と向かい合って生き続けるしかない。 

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