少し前に「40歳定年」を唱えた人がいて(名前を忘れた)話題になった。一見暴論のように思える説ではある。巷の人たちは60歳から65歳で定年になることを、あるいは定年制を自明のものとして捉えている。定年制なんて便宜上作られた制度に過ぎない。本来はいつリタイアするかは本人が決めればよいことである。
僕は働き方を見直す時期があってもよいと考えている。学校を卒業してずっと同じ働き方を続ける必要はない。ある時期をもって自分の働き方あるいは生き方を見つめ直すことも大事なのではないかと思っている。
この国の雇用慣行では(主に大企業ではあるが)大卒で総合職・幹部候補として一括採用し、ずっと出世競争を強いて、際限なく働かされる。
しかし、現実問題として30代も半ばになれば、出世コースに乗る人と外れる人が明確になる。ポストを得て昇進が可能な人はずっと同じ働き方を続けても良いが、そうでない人たちは不毛な働き方を強いられるおそれがある。人件費が嵩むといった理由でリストラ・左遷される可能性が高くなる。
ある程度のスキルがあっても、管理職ポストがないし、ずっと現場で働かせるには給料が高すぎると判断され、不遇を託っている人が多いと思う。
ある時期を設定し、それが35歳か40歳かは各会社によるが、働き方をリセットしても良いように思う。例えば給料を職務給的なものに切り替えて、転勤も限定的なものにして、経理や総務、営業等の専任職的な処遇にするのである。決して「出世」はしないし、給料もそれほど昇給しないが、正社員としての地位は保つのである。
会社でのポストは限られているし、昨今はそのポストも削る傾向にある。出世以外の価値観を提示することも、会社が発展し人材を活用する手立てとして重要な事項になっていくと思う。
すでに出世競争から疎外されているのに、いつまでもポストを餌に際限なく働かせる手法は労働者にとってもさらには会社にとっても不幸である。
ポストに就けない有能な人材は結構いるはずである。それらの人たちを有効活用することは会社にとっても利益になる。
一方、働く側も現実を見つめ直す必要がある。実質的なポストを得られずに、そこそこの高給で遇されてもそのままではリストラ要員となるだけである。現場から離れ、閑職で名ばかりのポストを与えられて飼い殺しにされるだけである。
40歳定年制的な処遇は現行の労働法制のままではできない。明らかな労働条件の不利益変更とみなされるおそれがあるからだ。
ある時点(35歳とか40歳など)で働き方を選択できる人事制度を予め整備しておく必要がある。裁判所は会社の人事権の裁量を広く認めている。
40歳定年制的な考え方は合理的である。
働き方や生き方をもう一度見つめ直す良い機会となる。ひとつの会社に60歳や65歳まで勤め続けるのが良いという価値観を疑ってかかるべきである。
多様な働き方、多様な生き方が認められる社会になれば、今の閉塞感を壊すことができるかもしれない。