希望の舎―再生編ー

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生活困窮者の放置・無策は国家権力の暴力である件〈再掲〉

国家は何のために存在しているのか。

突き詰めて考えれば、国民の生活を守るため、人に値する生活を保障するためにある。

この最低限の責務すら放棄した国家は、もはや国家に値しない。

 

初出 2014/12/25

 

この国は「福祉社会」である。

北欧諸国のような「福祉国家」ではない。

社会保障制度が担うべき領域を会社や家族に肩代わりさせていた社会である。

それゆえに普通に正社員として働いている人たちは社会保障制度(雇用保険や健康保険、厚生年金)の恩恵を受け、なおかつ会社特有の福利厚生施策、例えば扶養手当や住宅手当等の恩恵にあずかることができる。

 

ところが、一旦社会のあるべきレールから外れると途端に生活に困難を来たすリスクに見舞われる。

仕事を失った場合、雇用保険を受給できたとしてもその給付水準は低く、受給期間は短い。公的な職業訓練は整備されているとは言いがたい。

雇用保険の受給期間が終わると即無収入になる。何よりこの雇用保険を適用されない多くの非正規雇用の人たちが存在している。

再就職もままならず、雇用保険も受けることができず、貯えも底を尽くと生活保護に頼るしかない。しかし、稼動年齢者に対する生活保護受給のためのハードルは高い。以前に比べてましになってきたとはいえ、行政の水際作戦は未だに横行している。

 

生活困窮者、特に現役世代の人たちに対する支援があまりにも貧弱なのがこの国の現状である。

極論すれば、国や自治体は生活困窮者を放置し、一種の棄民政策を採っているのだ。

国家権力の暴力である。

通常、僕たちは国家権力の暴力というと、国民・市民を統制し抑圧する行為だと考えている。

こればかりが国家権力の暴力なのではない。

なすべきことをせずに、結果として僕たちに不利益、損害を与える「不作為」の暴力が存在する。

生活困窮者を放置し、見捨てて知らぬ顔をするのはまさに国家権力の不作為の暴力である。

薬害やアスベストによる健康被害も国家権力の不作為の暴力である。ハンセン病や精神病者に対する行いは、強制隔離政策という作為的な暴力と劣悪な処遇を放置した不作為の暴力の両面を有する性質のものだ。

 

不作為の暴力は表立って見ることができないところに問題がある。作為的な暴力、つまり僕たちに対しての目に見える抑圧や統制に対してはそれが分かりやすいしまた反抗の声を上げやすい。

一方、不作為の暴力についてはこの社会の奥底に潜行し、知らず知らずのうちに既成事実化されてしまう点に恐ろしさがある。

 

僕たちは生活困窮者に対して、「自己責任」だの「甘え」だの「努力が足りない」だの「能力が低い」などと言って、本人の全責任に転嫁する態度を取っていないだろうか。この態度は国家権力による不作為の暴力に加担していることになる。

「弱者が弱者を叩く」という倒錯したかつ哀れな構図はエスタブリッシュメントにいいように操られているということに思い至らなければならない。

 

生活困窮者の放置、それらの人たちへの支援が無策であるのは国家権力の暴力であることを今一度再認識しなければならない。

この国家権力の暴力に抵抗する術を見出さなければならない。

僕たちひとりひとりが矜持を持ち続け、連帯やネットワーク化を通して。

いつかは自分の身に降りかかる自分自身の問題として。 

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