借りたものは必ず返す。
これは社会生活を営む上での大切なルールである。
ただこのルールは原則であって例外もある。
借金についても必ず返さなければならないものとそうでないものとを区別して対処した方が良いと思う。
初出 2014/12/18
この社会には様々な社会規範が存在している。
法や道徳や宗教、組織のルールなどである。
僕たちは大なり小なりこれらの規範の影響を受けて、自分の価値観等を形作っている。
「借りたものは返す」。
これはメジャーなルールであり、一見普遍的な規範と思われている。
確かに借りたものは返さなければならない。特にカネの場合はそうであるとされている。
ただ、このルールをあまりにも厳格に適用しすぎると、借金が原因で生活が破綻したり最悪の場合には命を落としたりすることにもなる。
友人や親戚・肉親の借金はどんな手段を行使してでも返さなければならない。この手の借金は善意や好意に基づくものでお互いの信頼関係を基盤にしているものだからである。たとえ返済期限に遅れようとも、分割になろうとも絶対に返すべき性質の借金である。さらに言えば、自己破産や債務整理しても、別枠にしておいて返済しなければならない。
仮に貸した人がもう返さなくていいと言っても、返済を続けるべきである。返済を重ねた上で貸した人が「本当にもういい」と申し出た時点でその言葉に甘えるようにした方がよい。ある程度以上の「誠意」を示すことによって人間関係は保たれるのである。
一方、サラ金や銀行等の金融機関の借金については、返済できないような状況に陥ったときには諸手を挙げてバンザイしてもよい。間違っても友人・知人や親戚に借りて穴埋めなどしてはならない。愚の骨頂である。
本来金融機関での借金は消費貸借契約に基づく「契約」なのである。ドライなビジネス上の関係なのである。金融機関は善意でカネを貸しているわけではない。きっちりと与信をかけて利息を取っている。金融機関はカネを貸して儲けようとしているに過ぎない。カネを借りた人が何らかの事情で返せなくなってもそれは織り込み済みなのだ。
借金を返せないことは犯罪でも反道徳的でも「悪」でもない。ただ、経済行為に不調を来たしただけなのだ。
人生においては様々なことが起こり得る。
一時的に経済状況が悪くなることなんてままあることだ。
よく芸能人や有名人が自己破産をしたり多額の借金で困窮していることがメディアに載り、批判的に論じたりするが、これはおかしなことだ。ビジネスに失敗は付き物であるし、収入に変動もある。たかだか借金を返せないくらいで、その人を人非人扱いするのは間違っている。
多くの金融機関はバブル期前後に過剰な貸付を行い、結果として膨大な額の不良債権を生み出してきた。その尻拭いを国にさせておいて平気な顔をしている。すでにモラルハザードを犯しているのだ。その恥さらしな銀行をはじめとする金融機関がモラルを説いて借金の返済を迫るなんて出来の悪い喜劇である。僕たちはモラルすらなくした金融機関の論理に付き合う必要はない。時には、金融機関には泣いてもらってもよい。
借金を返せないことで卑屈になることはない。
結果として自己破産をするに至っても気にすることはない。破産後の生活をよりよいものにするために自分なりに努力すればよいだけの話だ。
僕の友人・知人には自己破産をした人が結構いる。多くの人は再起を果たしている。彼ら彼女らに共通しているのは、借金の怖さを身に染みて感じ、二度と借金はしないような質素な生活を営んでいて、無理な仕事のやり方をしないようにしていることだ。そして、以前よりも人間関係を重視している。
要は自己破産という人生の危機に直面した後のその人の生き様が大切なのである。単に自己破産をした(あるいは会社を倒産させた等)というだけの理由でその人を見放すのは、人としての度量に欠ける行為だと思う。
確かに借金をしないに越したことはない。
しかし、ビジネスを始めたり、生活に困ったりしたときにやむを得ず借金をすることがある。
借金自体が悪いのではない。その借金とどのように向き合うか、最悪の事態に陥ったときにどのように対処するかが大事なのである。
借金を返せないことは別に悪いことではない(善意や行為によるものは別だが)。
ただ、これまで培ってきた人間関係を壊さないように最大限の努力をすることが大切なのである。