希望の舎―再生編ー

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「出世」なんて大したことはない件〈改題・再掲〉

もう「立身出世」は死語なのだろうか。

最近の若い人たちは出世よりも自分らしい生き方を好む傾向があるという調査結果がある。

出世を目指す生き方はひとつの生き方に過ぎない。

出世など眼中にないという生き方がメジャーになればなかなかに面白い。

 

初出 2014/12/14

 

僕たちは知らず知らずのうちに相手を肩書や社会的地位などで値踏みしてしまう。

どこの大学を出たとか有名企業や大企業に勤め役職を得ていたとかで判断する傾向があるのは否めない。

この国ではある組織(会社や役所)で「出世」すると社会的な信用が高まり、その人自身の人間性も高く評価されるようになる。

 

しかし、よくよく考えてみるとおかしなことだ。

ある組織で出世したからといってその人が人として優れているという保証はない。人格が高潔な人もいるだろうし、下卑な人もいる。ただそれだけのことである。

組織の中で出世したということは、極言すればその組織に「飼い慣らされた」証であるといえる。どれほど優秀な人でも組織の論理や掟から外れれば大概は出世はできない仕組みになっている。

 

多くの出世した人たちは、たまたま運良く出世しただけである。当人は自分の能力が優れていたからだとか実績を積んだからだと言うかもしれない。実際は自分を引き上げてくれる上司に巡り合ったとか、派閥の力学によって引き立てられたとかそんな程度である。それを自分の力だと錯覚している人が多いし、そんな人を僕は信用しない。逆に運が良かったからと本心から言える人を僕は信用するし信頼する。

 

そして、出世した人は「偉く」はない。

せいぜい、天下りして無くても良い特殊法人の理事にでもなったり、子会社の役員になるくらいである。

たが、この社会ではそんな人たちを「元偉いさん」として有難がっている。

組織から離脱すれば「ただの人」であるに過ぎないのに、本人はいつまでも元の肩書にしがみつく。馬鹿馬鹿しいとは思わないのだろうか。

組織に所属し何がしかの肩書で自分を飾り立てていただけで、相手は人としての自分ではなく、地位や肩書に平伏していただけなのだ。

 

只管出世を目指す生き方を僕は否定するわけではない。出世欲は仕事に対するモチベーションを高めて、良い方に影響することもあることを否定しない。

しかし、出世することが人生の目的だというのは、僕の価値観からすると首を傾げざるを得ない。

出世して得られる経済的な成功や名声は仮初のものに過ぎない。

 

出世した人を羨ましがることはない。

その人はたまたまその組織に順応し、たまたま出世のレールに乗っただけなのだ。

それ以上でもそれ以下でもない。

人間至るところに青山あり、である。

 

  

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