希望の舎―再生編ー

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滅私奉公を死語にせよ、という件〈再掲〉

滅私奉公を美徳とするのは歴史物の小説やドラマの中にだけして欲しい。

組織に忠誠を誓うということは、その組織に埋没し寄生していることを意味する。

 

初出 2014/12/4

 

この国では自分が属する組織に忠誠を誓い、自分を殺して組織のために働くことが美徳とされてきた。江戸時代は主君に滅私奉公する生き方が正しく美しいものだとされてきた。

この考え方は今に至るまで脈々と受け継がれている。

 

この「滅私奉公」自体は否定されるべきものではない。人は時によっては私益よりも公益を優先すべき場合がある。社会を導くエリート層は私益・私利私欲を抑制すべきものだし、公的セクターに働く人たちも国や地域の利益の最大化を図るために私益を抑えなければならない。

 

僕はドラマや小説等で国(藩)や主君のため、あるいは大義のために己を犠牲にしてまでも何事かをなす、という物語に素直に感動する。そういう生き方に憧れを抱いたりもする。もしも僕が戦時中に生まれていたとしたならば、愛する人たちや故郷を守るために進んで戦地に赴いただろう。

僕たちは多かれ少なかれ、このような自己犠牲をも厭わないメンタリティを持っていると思う。

 

このメンタリティは滅私奉公とかなり高い親和性を有している。僕たちは自分の置かれた環境によっては滅私奉公に突き進む可能性を秘めている。

他方で僕は「自由」を愛し、個人主義的な価値観を大切にしている。この面が表に出ると、滅私奉公なんて馬鹿らしい、時代錯誤的なものだと捉えがちになる。

つまり、心の奥底では自己犠牲を美しいと感じ憧れを抱いているが、現実には「個」を重視した生き方を志向することになる。

 

見逃してはならない点がある。

それは江戸時代以前の滅私奉公には純粋な自己犠牲の精神以外に利己的な欲望が付随していたことである。主君に忠誠を誓い、奉公することによって「家名」を上げることや「家」の存続・発展を図る意図があったということである。

現代版の滅私奉公である会社人間においても、家族やプライヴェートを犠牲にした見返りに出世や高収入を求める。あるいは社会的な威信や肩書を求めるのである。個人の欲望に根差したこのような行為はあくまで正しいものである。人は理想や大義だけでは食っていけないのだ。

 

注意しなければならないのは、滅私奉公しているうちに組織の論理に完全に絡み取られてしまうことである。会社なくして自分はない、というメンタリティになってしまうことだ。何らかの理由で会社組織から離脱した場合にアイデンティティ・クライシスを引き起こしてしまう。人生において会社・組織に属して働くことなんて、その一部に過ぎないのにその全部だと思い込むことが危険なのである。

 

自己犠牲の精神が尊ばれすぎるとその副作用が思いもかけぬ形で表出する。

際限なき長時間労働やそれに伴う過労死過労自殺、組織のルールを絶対視するがゆえの不祥事や社会との軋轢が多発する。

 

滅私奉公を美徳とし、神聖視することはもうやめにした方がよい。

行き過ぎた個人主義は問題があるが、適度な個人主義的な生き方や程よい自由な生き方をもっと追求してもよいはずである。 

 

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