40歳を過ぎた頃から悩んだり落ち込んだりすることが殆どなくなってきた。
これは良い傾向である。
能天気なビンボーお気楽ライフを送っている証だ。
若い頃は色々と悩み、よく落ち込んだりした。
僕は内向的な人間なので、ストレスを溜め込む傾向にあった。酒も飲めないし、外で遊ぶことが嫌いなので、ストレス解消の手段としてはレンタルビデオを観たり、読書をして心を落ち着かせていた。
そして、深く悩んだり落ち込んだときには「宇宙」のことを考えるようにしていた。
僕は子どもの頃から宇宙に関連したことに興味があった。宇宙人はいるのか、宇宙の果てはどうなっているのか、ビッグバンの前はどんな状態だったのかなどなど考えを巡らせていた。
知識を得ようとすればするほど量子力学や物理学の話になってきて、僕の悪い頭では理解しにくくはなったが。
あまりにもスケールの大きい宇宙(陳腐な表現で恐縮だが)に思いを馳せていると、僕の苦悩なぞちっぽけなものだと思えてくる。
百数十億年の宇宙の歴史からすると、人類の歴史なんてほんの一瞬のことだし、僕の人生なんて映画の1コマにすらならない。
つまり、僕の一生なんて取るに足りないものだと考えることができれば、何だか足枷をはずされたような、ほっとしたような気分になれるのだ。
現世でどんなに裕福になろうとも、名誉を得てもすべて「空の空かな、すべて空なり」なのだと思い知る。
ここで僕がバカで能天気なのは、人生に絶望するという方向に向かなかったことだ。
取るに足らない人生ならば、気楽に楽しく自分の好きなように生きていこう、というように考えが向いたことである。
達観するという域にはまだまだ到達していない。
僕には欲が残っているし、カネのことも気になるし、なるべくなら他人からは良く思われたい。まだまだ女性にはモテたいと思っているし、美味しいものを食べたいし、ユニクロ以外の服をたまには買いたいと思っている。
なかなか煩悩から解き放たれないものなんだな。
まあ、欲から逃れられないのも、生きている証なのだと思っておこう。
嫉妬や妬みなどの感情を完全には捨て去ることができないのも、人間である証。
僕はこれからも、苦悩するたびに、落ち込むたびに、宇宙に思いを馳せて自分がちっぽけな存在であることを思い知ることにしようと思う。