正社員の長時間労働・サービス残業が一向に改善される兆しが見えない。
かなり前から問題提起をされ続けているのだけれど、抜本的な解決策を講じようとする動きは鈍い。
問題だ、と口にはするが、この状況を受け入れて良しとしているのだろうか。
経営者側にとっては、長時間労働・サービス残業が容認されれば、願ったり叶ったりである。通常はぎりぎりの人員で回せて、業務量が増えても新規に雇い入れをしなくてもいいし、人件費を削減できる。社員の側は使い倒されるだけである。
こんなことは自明なのになぜ長時間労働は無くならないのだろう。
まずは「契約」概念の欠如である。
労働契約は労働者が労務を提供してその対価として報酬を得るというものである。具体的にいえば、予め決められた時間会社に拘束され、決められた仕事をこなし、これまた決められた給料を貰うということだ。
つまり、労働者は決められた仕事を勤務時間中にこなしてさえいればいいわけである。
労働者に残業を強いるというのは本来ならば会社側の契約違反である。36協定はあくまで原則禁止されている残業を労使合意で一定時間認める例外に過ぎない。それを会社側が無知なのか知っていてわざとなのかは知らないが、36協定さえあればいくらでも残業させられると曲解しているのである。労働者側も残業をするのが当然と受け止めている。労使双方が認識不足という点は否めない。
次に長時間労働を許容する風土が社会に存在するということだ。働くことは尊い、勤勉は美徳という価値観・労働観が大勢を占めている状況下では長時間労働になりやすい。仕事=人生などという考え方が加わるとさらに拍車がかかる。
仕事は人生の一部に過ぎないし、そもそも人間は働くためだけに生まれてくるのではない。
労働契約に関連することだが、労働者、特に正社員の職務の範囲が曖昧なことも長時間労働を生む要因となる。メインの職務に付随する雑用的な仕事や誰が処理するのかはっきり決まっていない仕事も実際の職場では多くある。しかもそれらの仕事は増えていく傾向にある。
そして、未だに長時間働いた社員を評価する人事考課を行っている職場が多いことも長時間労働を生む原因となっている。成果主義や能力主義を謳いながらも、実際には成果だけで評価している会社は多くない。裁量労働制を採用している職場でも同様である。長時間労働をすることが美徳と考える経営陣や上司の元では当然のことである。
また正社員の働きぶりに対するハードルが上がっていることも見逃せない。決められた仕事だけをこなしているだけではダメで、より一層の会社へのコミットメントと成果を求められる。
つまり、正社員は長時間労働と成果の両方を会社側から求められているのである。
その他の要因として、労働組合の力が衰えたことも挙げられる。元々日本の労働組合は企業別組合という特質があり、必要以上に労使協調路線を採ったため、労組本来の役割を果たすことができなくなった。酷い労組では会社の人事部外局だとか第二人事部と揶揄される始末である。労働者の劣悪な職場環境に目を向けず、改善のための闘争を怠った罪は重い。
僕が思いつくだけの、長時間労働に至る要因を書いてみた。まだまだ他の原因もあるはずだ。
長時間労働は間違いなく労働者の心身を蝕む。
会社にとっても国家にとってもマンパワーの毀損は大きな損失となる。
経営者側からの改革は期待できない。
労働者の個人としての気構えと連帯できる場が必要となってくる。
部署単位で、会社単位で社員全員が一斉に残業を拒否するのもいい。
改革は身近なところから、その第一歩がはじまる。