希望の舎―再生編ー

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「サービス残業」は異常なことだと認識しなければならない件

よくよく考えてみると「サービス残業」という言葉は変な言葉だ。
こんな言葉がまかり通る日本の社会は異常といえる。あと「名ばかり管理職」も同様に。

 

本来、企業に勤めて給料を貰うという行為は、労働「契約」に基づくものに他ならない。サラリーマンは労働の対価としてあらかじめ決められた報酬を貰う。労働の対価とは各人の技能・時間を会社に提供することによって得られる報酬である。

 

日本の会社は、労働だけでなく、サラリーマンの全人格・全人生まで提供させて、会社に縛り付けようとしてきた。高度経済成長期ならば、この手法も一定の理解はできるかもしれない。会社に忠誠を尽くせば、見返りが期待できたから。

 

資本主義社会は契約に基づく社会である。契約を守れなければペナルティが課せられる。
しかし、労働契約については、前近代的な名残がまだ残っているように思われる。

かつて、労働契約には例えば「タコ部屋」「女郎部屋」などのように、心身を拘束して強制的に働かせるという側面もあった。だから、戦後、労働基準法労働組合法をはじめとする、労働関係の法律が整備されて、「労使対等」の概念が生まれたのだ。

 

労働契約の片方の当事者、サラリーマンにだけ契約の履行を強要して、もう片方の当事者である会社側は契約を履行しなくても平気でいる。

サービス残業は、会社側の厚顔無恥な態度を顕わにしたものである。

 

サラリーマンは会社の奴隷ではない。度重なる転勤、単身赴任、適性を無視した人事異動、長時間労働等、ある程度の範囲内のものであれば許容するべきものだとは思うが、これらによって家庭崩壊、心身を病んだり、果ては過労死過労自殺に至るという悲劇が生まれ続けている。

人は幸福になるために生きていて、働くこともまた幸福になるための一つの手段に過ぎないことが忘れられているのだろうか。

 

ある超大手有名企業は、社員のための墓を用意しているという話を聞いたとき、僕は唖然とした。

 

サービス残業」は元々あってはならないものだし、それがさも当然のように強いる日本の会社が異常なのだ。よく経営者団体のお偉いさん方がグローバルスタンダードなる言葉を口にするが、日本のローカルスタンダードであるサービス残業に口を噤むのは二枚舌に他ならない。

そもそも、社員に多大なサービス残業を強いることによって利益を出し、経営を維持しているような会社は市場から退場すべきなのである。

 

社員の側もサービス残業は拒否する気概を持つべきだろう。現実的にそれが難しいのならば、サービス残業分の金額をいつでも請求してやるとの準備や心構えをしておいた方がよい。

  

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