自分自身に少しは自信を持たなければならない。
過信しすぎてもいけないし、自己否定だけでもダメだ。
程よい加減で自分に自信を持つことができればよいのだが、なかなかそう上手くはいかないのが現実である。
初出 2014/8/30
世の中には本当に色々な人がいる。
自意識過剰な人そうでない人、自分に自信があって能力の高い人低い人、自分に自信が無くて能力の高い人低い人など粗い分類ではあるがおおまかに以上のように分けられると思う。
自分というものを否定したり、自己評価が極端に低い人たちは生きづらさを感じ、充足感が低い状態で日々を過ごしている。なぜ自己を否定したりするのか、その理由は多種多様で僕には手に余るのでここで述べることはできない。
何らかの理由で自分自身に自信が持てなくなり、生き方をこじらせている人が多いのは確かである。
僕は特別な才能を持っているわけでもなく、特に資質が優れているわけでもない。
正社員として働くことに違和感を覚え、当然に長続きしない。自営業・フリーランスとして仕事をしたが、結局は経済的な成功を収めることができなかった。真っ当な人からみると、僕は「落ちこぼれ」「負け組」の人間である。
しかし、自分を否定したり自信をなくしたりすることは殆ど無かった。
社会的な成功を得ることもカネを稼ぐこともできないが、自分の生きていく場所が世間の隅っこにでもあるはずだと思っていたからだ。この世の中に存在していてもよいはずだとの根拠の無い確信を持っていたからである。
だからと言って、僕は自分自身を盲目的に愛しているわけではない。嫌いな部分も沢山ある。まあ、自分という人間が大好きでもないし、嫌いでもない、ちょっとだけ好きかな、という程度である。
この「ちょっとだけ好き」というのがミソである。言い換えれば、自分自身を少しだけ肯定していることになる。さらにいえば、単に能天気なだけかもしれない。
自分を好き過ぎても、嫌いになっても世間との齟齬が生じやすくなる。極度のナルシストは周りの人を引かせるし、ネガティヴすぎる人も扱い辛い。特定の分野(例えば芸能界)ではそれらの人たちは生きやすいかもしれないが、一般的な社会(会社等)ではなかなかに生きづらくなる。
僕は適度な自己肯定感をもって世間を渡る生き方ができればよいのではと考えている。
自分の嫌なところや欠点を内に抱えながら、それらを無理に克服することなく、自分の良い面をちょっとだけ前面に出すような生き方である。
人は神ではないので、完璧な完全無欠な人なんてこの世には存在しない。
嫌な面や欠点があって当然なのだ。
同時に誰しも美点を持っている。
僕たちは得てして他人の粗探しをしてしまう。これは自分で自分の首を絞めている行為だと思い至ることが必要である。
ほんのちょっとだけ自分を肯定できていれば、少々の困難な出来事には対処できる。
世間のしがらみにも折り合っていける。
僕はこの世の中で生きづらさを感じてはいるが、自分という人間を認めて、しなやかにそしてしぶとく生き続けようと思っている。