定時に出社し定時に帰宅するのは至極当たり前の話である。
しかしこの国ではこの当たり前がそうはなっていない。
長時間労働はデメリットばかりである。
この国の労働者の多くは会社の奴隷になりたいのだろうか。
初出 2014/8/3
この国の会社では毎日定時にさっさと帰るような社員は評価されないし、出世もできないようになっている。
いかに長時間会社に居続けるかが人事評価のポイントになっている会社が多い。
また、所定の勤務時間ではとうてい処理しきれないほどの仕事を割り振られるかが、その社員の評価になっている場合もある。有能と目される社員ほど多くの仕事を割り振られ、結果として長時間労働に至るわけである。残業(しかもサービス残業)を多くしている社員ほど評価されるという旧態依然の誤った人事労務管理システムが蔓延っている。
幾度もこのブログで言及しているが、社員は決められた時間・スキルを会社に提供して報酬を得るという「労働契約」に基づいて働いているに過ぎない。当然に労働時間も決められた時間だけ提供すればいいだけの話となる。残業などごく限られた例外なのである。
しかし現実はそうではない。
残業ありきで業務が社員に割り振られている。
また残業ありきで社員が配置され、その部署の業務をまわしている。
残業しなければ仕事が回らないという事態は経営側のマネジメントがなっていないからなのだ。各社員の業務遂行能力を適切に把握し、適切な人員配置をして、適度に業務を分担すれば残業はなくなるし、あるいは大幅に削減できる。
会社側は人員を抑制・削減して業務を回すことによって人件費をカットし利益を上げようとしている。このような手法による利益確保は最も下劣な方法だと、最も創造性のない経営手法だと世の会社は思い知るべきである。
経営側の無能さ、マネジメント力のなさを社員に過度の労働を押しつけることによって隠蔽している。社員は経営側の無能・不作為のツケを払わされているのだ。
ただ、残業の多さは社員の側にも責任がある。
ダラダラといつまでも残業代欲しさに会社に居残ってはいないだろうか。残業代をあてにして生活設計をしてはいないだろうか。
自分の担当業務を効率化する努力はしているのだろうか。
残業が常態化しているのは、会社側と社員の利害が一致しているからだという側面もある。
本来、残業は必要とされる業務を所定時間外でやむを得ずしなければならないと認められる場合に、権限のある上司の職務命令によってなされるものである。例えば締め切り間際の業務が大量にあるとか、突発的な事態が起こった等通常業務以外で処理しなければならない仕事が発生したときである。通常業務をこなすのに常に残業を要するのは、上述したようにマネジメントがなっていないのである。あるいは社員が非効率な仕事のやり方をしているかである。
僕は残業をせずにきちんと仕事をこなし、いつも定時に帰って私生活を充実させているような社員を高く評価する風潮が広がればいいと思っている。
与えられた業務を「労働契約」通りに時間内に終わらせているのだから、そのような社員を評価して当たり前であるという考え方が一般的にならなければならない。
これは会社側にもメリットがある。余計な残業代を払わなくて済むし、問題となっているサービス残業も発生しない。勤務時間内に仕事を終わらせるのが当然となれば、集中して仕事をするようになり、生産性や効率が高まることにもなる。
残業ゼロの働き方が当たり前となると、会社での仕事に人生の大半を費やすという生き方から人生を楽しむという生き方への変革につながる、と僕は思っている。