希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

多数派が常に正しいわけではない件

民主主義の社会では多数派の意見を尊重し、それを実現しようと図ることが原則である。同時に少数派に「配慮」することも重要なことである。

 

多数派の人たちの意見や信条はどのように形成されるのだろうか。

これには様々な要因がある。

家庭の養育状況、学校教育、会社をはじめとする組織の規範、世間での常識等々である。特にマス・メディアにおける世論の形成作用は大きい。

 

この社会では多数派に属すると何かと便利であり、生きやすくなる。自分と似たような価値観を共有する人たちとはコミュニケーションが円滑となるし、仲間意識等も生まれやすい。

多数派の行動様式に従っていれば、無難な生き方が可能となる。

 

この社会では会社や官公庁等の組織に雇われる働き方(しかも正規雇用)をしている人たちが多数派である。しかし、この働き方は戦後になって一般化したものに過ぎない。戦前においては、いわゆる月給取りは少数派だったのである。

今の多数派は比較的歴史が浅く、かつ普遍的ではないのだ。近い将来には非正規雇用が多数派になる可能性もある。

非正規雇用が多数派となれば、おそらく正社員との均等待遇(同一価値労働同一賃金)を強く要求するようになるだろう。そうなれば、正社員の待遇が悪化することも起こり得る。

現在の正社員にとっては非正規雇用社員との「身分差」があり、自らの既得権が守られた方が良いと考える。また、それらが多数派の意見となる。この「多数派」の価値観は絶対的に正しいとはいえない。正社員と非正規雇用社員間の均等待遇の方が合理的であり、グローバル・スタンダードなのだ。

 

多数派が常に正しいわけではない。

多数派が正義を体現しているわけでもない。

それは時代によって移ろう不確かなものなのだ。

 

また、多数派の意見形成はエスタブリッシュメントにとって都合のよい考え方をメディアによって拡散された結果になるおそれもある。御用マスコミのプロパガンダに乗せられる大衆という図式である。

 

多数派の暴走が、社会を歪ませ、誤った道を選択するという悲劇を招くのは歴史が証明している。

太平洋戦争に突き進んだ原因は、軍部の暴走だけではなく、多数派の人々の暴走によることも大きい。

 

昨今の社会的弱者や異端とみなされる人たちへのバッシングは、多数派の「良識」らしきものが暴走している面がある。

多数派の行動にはマイノリティを抑圧し排除するというメカニズムを内在している。

このことは、仮に不条理な、あるいは非人道的な内容を含む考えが多数派を形成した場合に、それが大きなパワーとなり、社会に大きな影響を及ぼすことを意味する。

とても危険なことである。

 

僕たちは多数派が正しいという一面的な考え方に常に疑いを持ち続けなければならない。

少数派の声を聞く態度を持ち続けなければならない。

繰り返して言う。

多数派が常に正しいわけではない。