希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

色々な意味での「信用」について考えてみる件

僕たちがこの社会で生きていくうえで「信用」は大切なものである。「信用」がなければ重要な仕事を任せてもらえないし(フリー・自営業、会社員に共通して)、お金を貸りることもできないし、クレジットカードを作ることさえできない。

 

この「信用」はどのようにして築かれていくのか。

友人・知人間の信用は、約束を守ること、義理堅いこと、裏切らないことなどの積み重ねによって醸成される。

僕はこの「信用」はいかなる理由によっても壊してはならない大切なものだと思っている。

「信用」はその人が窮地やトラブルに巻き込まれたとき等に試されるものである。以前のエントリーにも書いたが、借金苦に陥ったときに友人・知人等からの善意や厚意に基づく借金はどのような手を使っても返さなければならない。よく友人に借金をするな、カネを貸すなという人がいるがそれは違うと思う。絶対に返すという気持ちで借りさえすれば友情にもヒビが入らないし、信用を壊すことはない。たとえ返済期限に間に合わなくても、分割で返済するにしても、きちんと返せば友人・知人はその人を見限ることはないし、信用を失うことはない。

友人や知人の「信用」さえあれば、どんなに困難な状況に陥っても再起がしやすくなる。有形無形の支援が受けられる可能性がある。

 

同じ「信用」という言葉でも性質が異なるものがある。社会的信用である。分かりやすい例で言えば金融機関等の信用である。ローンを組んだり、クレジットカードを作ったり、賃貸住宅を借りるときなどに問われる信用である。

この「信用」は本人の資質(誠実さ・義理堅さ等)は問われず、社会的な立場、つまり正社員であるかどうか、勤めている会社のステータス、収入等によって決まる。例えば、能力があり人間性に優れた人でも起業した当初や失業中、フリーランスで働いていたら信用はゼロに近いものとなる。

ある漫画家(そこそこ有名で売れていた)が住宅ローンの審査に落ちた時のことを作品に描いていたが、単純に収入の多寡ではない「社会的信用」の壁があることを嘆いていた。

社会的信用の基準は、この社会を覆っている価値観が反映されている。要するに組織に所属していて、安定していると考えられる立場に身を置いていないと、社会的信用は得られないのだ。

よく人は見かけで判断してはいけないと言われるが、そんなのは噓であり、多くの場面で見かけだけで判断されることになるのである。

 

しかし、僕は友人・知人の信用さえあれば十分であると思っている。社会的信用はあるに越したことはないが、無ければ無いで何とかなるものである。ローンを組まなければ良いだけであり、クレジットカードも持たなければ良いし、今は審査なしで作れるデビットカードがあってそれで事足りる。

 

社会的信用を無くすことを極度に恐れて、どツボに嵌ってしまう人たちが結構多い。典型的な例が借金(住宅ローンも含んで)でクビが回らなくなり、自己破産するなり、他の債務整理の手段を取るなりした方が良いのに、自転車操業で借金を繰り返すケースだ。

 

友人・知人に対する身近な「信用」こそが最も大切なもので、強い味方であるということを肝に銘じておくべきだと、僕は思う。