社会について考えてみる
モノが売れなくなった時代だと言われて久しい。 特に若年世代の消費性向は低調であると言われている。 自家用車を持たない、高級ブランドの服飾品にさしたる関心がない、等々。 オッサン連中はこんな若者たちの行動様式に青筋立てて批判する。 オッサンであ…
僕はこのブログで政治に関するトピックスは意識して取り上げてこなかった。 色々と言いたいことはあるのだけれども、あえて避けてきた。 なぜなら、どうしても感情的になってしまうし、自分の「正義」を振りかざすことになってしまうのではないか、というお…
会社は利益集団である。利益を上げることができなくなれば、市場から退場するというそれだけの存在である。 会社を存続させるためだけにに働く人たちが犠牲になることなんてあってはならない。 初出 2018/6/21 労働基準法すら守れない会社を擁護する論法とし…
世のサラリーマンで今している仕事に満足できずにできれば転職したりあるいはフリーランスになるとか起業したいとか考えている人たちが少なからずいるものと思われる。 その際にネックとなるのが、「会社員」という身分を失うことにより様々なものを失ってし…
新しいビジネスとしてAIによって人間の信用度を測り、そのデータを企業に売るというものがあるらしい。この話を聞いて僕は暗澹たる気持ちとなった。 そんなに人間を格付けしたいのか、選別したいのかと。 クレジットカードや消費者金融の会社が対象者の信用…
人はそれぞれ個性があり多種多様である。 のっけから当たり前のことを書いてしまった。 しかし、この世の中は当たり前のことが当たり前でないという事象が数多く存在する。 人はみな「ばらつき」があるのが当たり前だということもそうである。 僕は「多様性…
一般論として、この国の人たちは親切である。外国人旅行者もそう感じているという。 僕の肌感覚としては、「内輪の人たち」には確かに親切に振舞うと思う。 僕たちはこの社会は優しさに満ちたものだと思っている節がある。 電車に乗ったときのアナウンス、そ…
新卒にしろ既卒の転職にしろ、未だに履歴書の空白期間、すなわち会社勤めをしていない期間(新卒の場合は卒業後のブランク)があればそれが問題視される。 本当にバカバカしいことだと思う。 僕は社労士事務所を畳もうとしたときに転職活動をしたことがある。…
誰でも、働くことが嫌になるときがある。 勤勉が美徳とか働くことは尊いというイデオロギーに浸っていれば尚更のことである。 働くことが嫌になっても、それは人として当然のことであって気にすることはない。 初出 2018/5/31 僕は年がら年中働くことが嫌に…
僕はこのブログを始めたころに、僕の行動規範や行動の源泉は「庶民のリアリズム」であると度々書いていた。今もこれは変わりがない。 しかしながら、この「庶民のリアリズム」というものは実は幻想にすぎないのではないか、と最近思えて仕方がないのだ。 中…
僕はずっとある時期まで怠惰は悪だと思っていた。 今やるべきことをやらない人は何をやっても駄目だと思い込んでいた。勤勉は美徳とまでは考えていなかったけれども、努力を放棄した奴は役立たずと思っていた。 ある時期を境に僕の価値観はコペルニクス的に…
世の中の多くの人たちは忙しさを競い、忙しさ自慢をしているように見える。 とても滑稽なことである。 忙しくなければ真っ当な社会人ではないという思い込みに毒されている。 この風潮も滑稽である。 初出 2018/5/24 僕は何度もこのブログで自分は「ヒマ人」…
僕は巷間にあふれている自己責任に関する言説に強い違和感を抱いている。 かと言って自己責任を全否定するものではない。 人は自分のなした言動にある程度の責任は持つべきであると考えている。 しかし、この国においては、弱者ばかりに自己責任を負わせ、強…
僕は努力至上主義的な考え方が好きではない。悪しき精神論につながるからである。 また、生活に困窮した人たちに対して「努力しなかったからだ」と突き放す態度は無責任である。悪しき自己責任論である。 努力しようにもできない状況にある人たちがいる、と…
心が弱ったとき、生きていく力がどうしても湧きあがらないときに手に取る本が幾つもある。そのうちのひとつが「べてるの家」について書かれた一連の著作である。 僕はそれらの本を幾度となく読み返している。 「べてるの家」とは北海道の浦河町にある精神障…
僕の亡き父は中小企業のサラリーマンとして生き、その人生を全うした。 その父のおかげで僕は私立大学に行くことができた。母は父が長年働いたことによる遺族厚生年金を受給していて生活の不安はない。僕も少なからずその恩恵を受けている。 父はサラリーマ…
僕はヒマ人なので平日の昼間に自由になる時間が多い。 大抵は自室にいてラジオを聴いていたり、ネットで動画を見ていたり、読書をして時間を過ごしているのだけれども、自室に籠っていると煮詰まってくるのでたまに外出する。その際にはできるだけこざっぱり…
大学は高等教育機関である。 しかし、高度経済成長期には大衆教育社会となり大学生はエリートではなくなった。数年前からは「大学全入時代」となり、大学の存在価値の低下が甚だしい。 大衆教育社会となり、大学全入時代に突入したことから大学はサラリーマ…
ニートやひきこもっている人たちの一般的なイメージは現行の社会に馴染めない脱落者や逸脱者というものだ。 確かに働くことができない、学校へ行くことができない、ということは真っ当ではないとみなされやすい。世間ではきちんと学校へ行ったり働いたりする…
僕はいつの間にやらマイノリティの側に属する人間となったようだ。 自らが望んでそうなったわけではない。信念や信条があるわけでもない。 色々な経験を積み重ねていくうちに、自分の身の置き所を探し求めていくうちにそうなってしまったのだ。 まず僕は会社…
僕は物欲がほとんどない。いや、この歳になって失くなってきたという方が正しい。 若いころは消費を煽るメディアに踊らされて、あれが欲しいこれが欲しいと欲望まみれになり、その欲望を満たすために無理やり働いていた感がある。 この人が持つ所有欲は先天…
「おせっかい」という言葉にはネガティブなニュアンスが込められていることが多い。 誰かが困っているときに手助けをする、ということが当たり前ではなくなってきていることの証である。人は「おせっかい」をしたりされたりしながらどうにかこうにか生きてい…
よく巷で言われる話に、「一旦生活レベルをあげてしまうと、もう生活レベルをさげることができない」という類のものがある。 何らかの理由で収入が減っても、支出額はなかなか減らすことができないという話だ。そのために生活レベルを維持するために消費者金…
この社会には多くの矛盾がある。 この社会には数多くの歪みがある。 既得権者が己の利権をほしいままにするためのシステムを作り上げ、身内で独占しようとする。個人の能力差によるものよりはるかに超えた格差がある。 僕たちはこのどうしようもない社会によ…
僕たちは大抵は幼少時から「真っ当に」生きろという刷り込みがなされている。 きちんと学校に通い、いいとされる高校や大学に入り、一流とされる会社に就職することが良い生き方だとされていた。 敷かれたレールに乗って生きていくことが善とされていたので…
顧客第一主義を社是に掲げている会社は多い。このこと自体は間違っているわけではなく正しいことである。 ただ、この顧客を大切にするという考えが歪んで広まっているような気がする。 顧客の正当でないクレームに対しても平身低頭して聞き入れることが顧客…
教育や労働の現場で何か問題が起こると、責任者は個人にその責を負わせて収束を図ろうとする。再発防止のために研修や教育を徹底すると判を押したように答える。 システムの歪や不備を放置したままでは根本的な解決にはならないことは火を見るよりも明らかな…
カネと命を天秤にかけることは本来ならナンセンスなことである。 命よりもカネを優先順位の高位に置く人のことを守銭奴という。 昔は守銭奴は蔑称だった(今もその名残はある)。 守銭奴が大きな顔をできる資本主義システムは果たして良いものだろうか。 初出 …
街ゆく人たちに「カネがあれば、幸せである」かと問えば、そうではないと多くの人たちは答えるだろう。カネで買えないものが世の中には多くある、友情や愛情とか精神的な安らぎなどはカネでは買えないと。 とは言いながら、大多数の人たちは度量衡としてカネ…
僕は殊更に自分を大きく見せようとする人が苦手であり信用できない。 社労士事務所を営んでいるときに、僕は自分を大きく見せようとしている人たちにちょくちょく出会った。会社でこんな凄いプロジェクトを任されているとか、俺はこんな凄い人と知り合いだと…