僕は働きだしてから短期間だけれどもひきこもっていた時期がある。
ひきこもりに至るにはその人その人の事情があり、一般化してどうこうは言えないとは思う。
これから書くのはあくまで僕の個人的なケースであって、それをもってひきこもりに関する一般論にはできないとは承知の上である。
僕は社労士事務所を営んでいたが、40歳になったころからうつの症状が悪化し、結局事務所を畳むことを余儀なくされた。その後、正社員として勤め始めたが、さらに心身の不調をきたし、その会社を1年で退職した。
そして、実家に戻ったのだが、とても働ける状態ではなく、療養することになった。
この療養期間、外部との接触を断ち、ほとんどひきこもり状態だったのである。
40歳を過ぎて社会から孤立し、また働けないという状況はかなり辛いものがあった。
引きこもっていた頃は、まだ「働いてこそ一人前」、「雇われて働くことが真っ当な働き方」だとの思い込みがあったので、日々を無為に過ごすことの罪悪感に押しつぶされそうになった。
動き出したい、でも心と体が言うことをきかない。こんな状態が1年余り続いた。
このまま社会から完全に孤立し、落ちこぼれて、廃人同然の身となって死んだように生きていくのか、と暗澹たる思いだった。
結局、うつが寛解し、何とか働ける状態になって、ひきこもりから脱することはできたが、今も「半分ひきこもり」状態であると自認している。
もう、フルタイムで会社に勤めて働くことはできない。
ならば日々の生活を営むための糧を得るために、自分なりの稼ぎ方を身に着ける必要がある。自分にとっての有効な生存戦略を練り直さなければならない。
「小商い」、「ナリワイ」、「しょぼい起業」といったコンセプトが僕には適しているように思われる。
これらのコンセプトに基づいた働き方を志向して、僕なりに試行錯誤しているところである。
悲観はしていない。
僕にできそうなことはきっとあるはずだと、楽観的に考えるようにしている。
そうでなければやっていけない。
僕は自分のひきこもりの体験が決して無駄だったとは思わない。
自分ひとりでは無力な存在だと知ることができた。
生き方や働き方は多様であって、絶対的に正しいものなんてない、ということを知ることができた。
僕の引きこもり体験はあくまで僕の個人的なケースである。
ただ、ひきこもっている人に対して、「こうあるべき」というモデルケースを押し当てて、無理やり外の世界に出すというやり方は正しいものではない、とは思う。
この世界は冷たさや厳しさだけに覆われているのではない、と思えるようになれば光は見えてくる。