僕の日々の過ごし方は読書の時間をいかに捻出するかに重きを置いている。
活字中毒と言ってもいい。
まあ、ヒマ人的生活を送っているので、読書時間の捻出は簡単ではある。
僕がなぜ読書が好きで、それにこだわるのか。
それは本を読むことが好きだから、というトートロジーになってしまう。
幼少の頃から本を読むことが好きだったので、それが続いている、習慣になっているというだけのことである。
僕がどんな本を好んで読んでいるのかと言えば、それは実生活に直接的には役立たないものということになる。自己啓発書や実用書、ビジネス書は読まない。なぜそれらの本を読まないかと言えば、特に理由はない。僕にとって面白くないからとしか言いようがない。
人文科学・社会科学・ノンフィクションを好んで読んでいるが、ただ単に僕が知的興奮を覚えるからである。
読書によって得た知識を実生活に直接に活かそうという発想はない。
ただ、間接的に活きているという実感はある。
僕が若い頃、サラリーマンをし自営業を営んでいた頃は、今とは違い小説と実務書ばかりを読んでいた。特に実務に関する本は、仕事をする上での必要に迫られて読んでいたので、面白くはなかった。
そして、僕はうつに罹り、意欲が失せて、全く本を読めなくなる状況に陥った。
本好きの僕にとってはとても苦しいものだった。
自営の仕事を廃業し、うつが寛解し、僕の読書傾向は変わった。
とことん好きなものだけを読んでやろう、実生活に役に立つか立たないかは度外視して、「教養」がつくものを読んでやろう、というものに変化し、現在に至っている。
僕はヒマ人でダメ人間だけれども、知的好奇心は旺盛なままでいる。
世の中には僕の知らないことが山のようにある。死ぬまでにどれほどのことを知るようになるかはたかが知れているかもしれない。それはそれで仕方がない。
この社会の成り立ちやありようや歴史的な経緯を少しでも知りたい。
まともな人間なりたい、という一心である。
今の僕のビンボー生活から抜け出すには、僕の読書のやり方は適切ではない。
ビジネスを成功させる方法(そんなものがあるとすればの話だが)を得ることはできない。仕事で成果を出すようなノウハウも得ることはできない。
ただ、何となくだけれども、何らかの形で成果を上げるには、歴史学や哲学、社会思想等のアナロジーで対処するのが最適だとの思いがある。
遠回りかもしれないけど、地に足がついた確実な方法だとの思いがある。
僕は今の読書のやり方を変えるつもりはない。
すぐに役立つ知識はすぐに陳腐化して使い物にならなくなる。
生きていくうえで本当に大切なものを知るために読書をする、というスタンスを変えたくない。経済的な成功や社会的地位なんか二の次でいい。
この世から去る瞬間に「ああ、そこそこのいい人生だった」と思えればそれでいい。