希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

僕は「まともな人」になりたいという件

ヒマ人的生き方を満喫し、根っからのダメ人間になろうとしてる僕だけれども、常々まっとうな人間になろうと自分なりに努力している。

僕が思う「まっとうな人間」とはおかしいことに対してはおかしいと言うこと、批判精神を持つこと、物事の本質を捉えるように思考すること等である。

必ずしも会社に雇われて正社員として働くことや結婚することを意味しない。

世間で真っ当とされるライフスタイルを採っている人たちの中でも僕が思う「まっとうな人」は多くはない。

 

まっとうな人になるということは言うは易しだが実は意外と難しい。

この社会では「個の確立」や自己主張をしたりすることは忌み嫌われている。

だからこそわざわざ教育の目標に盛り込まれるのである。

相変わらず、この社会では相手を慮ることや空気を読むことが重要視され、「みんな」と同じ行動をすることが推奨されている。

まっとうな人になるためには、この同調圧力や空気を読むことを強いることに抗わなければならない。これがなかなかに難しくてしんどいことなのである。

 

こんな僕でも対人関係では空気を読むし、忖度するし、相手に同調しようと努めたりすることが多い。

相手がやたらと自己主張が激しかったりすると、げんなりもする。

これはこれで仕方がないと半ば諦めの心境なのではあるけれども、時と場合によっては言いたいことを言い、きちんとした対話に持っていこうとしようとは思っている。

それがすんなりとできるようになれぱ、僕の成長である。まっとうな人に近付いている証となる。

 

僕は友人知人から「はっきりと物を言う」タイプの人間だと言われていたが、全然そんなことはない。言いたいことの半分も言えず、歯がゆい思いをしてばかりいた。

特にサラリーマンをしていた頃、それとフリーランスの頃はひどかった。

サラリーマンをしていた頃は組織になじもうとして、ある種の過剰適応を来していたのだ。フリーランスの頃はクライエントに対して過剰に慮っていたのである。

今はこれらのことを反省している。全くまっとうではなかったと思っている。

 

忖度すること、空気を読むこと、相手を慮ることなどは組織人としては正しい振る舞いであろうと思う。これらのことができないサラリーマンは出世しづらい。

でも、僕はサラリーマン的な生き方は好まないしできない。

自己正当化の手段あるいは世間に対してちょっとだけの抵抗をするための理論武装として、僕なりの「まっとうな人」の定義を提示しているのだ。

世の中の大半の人たちは僕のこの考えに同調してくれないだろう。

それでもいい。

それでもいいから、僕は「まっとうな人」になりたい。