希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

僕はカネの話しかしない人を信用しないという件

僕は長らくビンボー生活を送っている。

それがゆえにカネのありがたみをよく理解していると自認している。

日常生活には支障がないが、ちょっと値がはるもの、パソコンやエアコン等の耐久消費財が故障したりすると、途端に困ってしまうことになる。昨年、パソコンとエアコンが壊れて難儀した。使いたくはないクレジットカードのリボ払いを使ってどうにかしのいだが、まとまったカネがあればなぁとため息が出たものである。

 

カネのありがたみを骨身にしみて痛感している僕だけに、そして元来のひねくれ者であるがゆえに、カネよりも心が大切だとか、物質的な豊かさよりも精神的な豊かさの方が大切だといった類の言説には素直に頷けない。

「世の中、所詮はカネだ」との思いが心の奥底で渦巻いている。

 

しかし一方で、カネの話ばかりしかしない人を全く信用しない自分がいる。

カネ儲けは汚いことなんて考えているわけではない。資本主義体制のこの世の中で、カネ儲けを全否定したら生きていけない。

 

僕が社労士事務所を営んでいるとき、ちょくちょく色々な異業種交流会や勉強会に顔を出していた。その際に、よく儲け話を持ち掛けられた(僕の風体から「カモ」だと思われていたのだろう)。

なかでもマルチ商法(それをしている人たちはネットワークビジネスだと言い張っていた)の誘いがとても多かった。僕はそのビジネスを全否定しているわけではない。やりたい人はお好きにどうぞというスタンスを採っている。

僕がその手の話を聞いて(僕は人が良いのでわりと話を聞いていた)、モヤモヤとした違和感をいつも抱いていた。彼らは年収〇千万も夢ではないと熱く語るとともに、「仲間ができる」とか「夢がかなう」といった話も熱く語っていた。

そのときに僕は人が良いので(実は人が悪いので)、あなたの夢は何ですか、どんな夢が 叶いましたか、と問い返すことが多かった。そして、大半が「外車を買った」とか「海外旅行に行った」といった類の答えが返ってきた。カネで買える夢ばかりの話しか出なかったのである。結局はすべてがカネに還元する話だったわけである。

「夢」や「感動」、「仲間との絆」を強調するのはマルチ商法の常套手段である。そしてそれらはブラック企業のマネジメントにも通じている。

僕はこの手の「夢」や「感動」話を受け付けない体質なのである。

それらがたとえマルチ商法ではなく、一見まっとうなビジネスであってもである。

 

僕は市場原理主義的あるいは新自由主義的な考え方に懐疑的なのは、つまるところはカネの話しかしていないからである。

医療や福祉や教育、あるいは社会共通資本を効率性でしか考えず、民営化すればすべてよしとするイデオロギーは、結局はカネの話になるがゆえに僕は否定的な立場を採るのである。

市井に生きる人たちの安全や健康、生命、安心等をカネに換算するという姿勢がどうにも馴染めないのである。

 

カネやカネ儲けは一義的なものではなく、副次的なものである、とどうやら僕は考えているようだ。このことが正しいのかどうか僕には分からない。おそらく「甘い」のだろう。世知辛い、カネがあってなんぼという世の中においては、僕のような人間は落ちこぼれてしまうのだろう、かなりの確率で。

それでもいい、と僕は覚悟し諦念している。

カネの話しかしない人間になるよりは、陋巷でくたばった方がいい。