僕は学校というものに不信感を抱いている。
小学生の時に不登校になり、その不信感は拭い難いものとなった。
そして、暗黒の中学校時代を過ごすことによってそれは増幅されることとなった。
僕の中学校時代というともう30年以上も前のこととなり、記憶のディティールは朧気となっている。具体的にどういう日々を過ごしていたか、については思い出すことが難しい。
ただ、つまらない日々だったことは覚えている。
僕が中学生だったころは、学内に校内暴力の嵐が吹き荒れていて、他方で体罰が横行していた。学校側の管理も厳しくて、理不尽な校則が幾つもあった。
僕が最も嫌だったことは、男子学生は全員丸刈りを強制されたことだ。
その当時、丸刈りは「男らしさ」や「清潔さ」を象徴するものだとの認識があった。
確かに丸刈りは手入れが簡単というメリットがある。
一方で少しでも伸びると校則検査にひっかかり、散髪に行く頻度が高くなる。それに何を着ても似合わない。色気付き始めた思春期の中学生にとってオシャレができないというのはもどかしく感じられる。
今にして思えば学校側が丸刈りを強制したのは、管理をしやすくするためであって、「上に従順な人間」を量産する手段に過ぎなかったのである。
僕が通っていた中学では上の代ころから荒れ始めていて、生徒が教師に暴力をふるうことが日常的に起きていた。教師によっては授業そのものが崩壊していた。トイレでタバコを吸う生徒もたくさんいたし、備品を壊したりする輩もいた。
僕は一日でも早くこの中学を卒業したい、脱出したいという思いを抱いて学校生活を送っていた。だから、中学の3年間はとても長く感じられた。
僕の中学時代には良い思い出といったものが皆無である。二度とは戻りたくない。
唯一の救いは、ヤンキー連中に直接危害を加えられたことは殆どなかったことだ。
その頃は、生徒間で「棲み分け」みたいなものがあり、ヤンキーは似たような連中とつるんでいて、僕のような普通の生徒に喧嘩をふっかけたり、いじめをすることは少なかったのである。
僕は成績は良かったので、高校は地元の進学校に進んだ。
入学当初はカルチャーショックにあったことを覚えている。
生徒がみな真面目に静かに授業を受けているという至極当たり前のことが衝撃だったのだ。
僕は進学した高校の校風や雰囲気がとても気に入って、ようやく自分の居場所らしきものを得ることができた。と、同時にほとんどの中学時代の友人とは疎遠となった。高校で得た友人といる方が楽しかったからである。
僕の今までの人生の中での黒歴史は中学時代とサラリーマンをしていた頃だと自己規定している。
両者に共通しているのは、管理がきついということと、「みんな」と同じことを強いられる同調圧力の強さである。
今は悪夢のような日々があったことで、今の平穏な日々があると思うようにしている。
そうとでも思わなければ、やっていられない。
人生の中で貴重な年月を無駄に過ごしたとは思いたくない。
中学時代の頃のことが全く夢に出てこないということは、その頃のことが深く記憶の奥にしまい込まれているということである。
これはこれで喜ばしいことである。