希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

コミュニケーション能力とは何か、それは本当に必要なのかという件

就活の際にあるいはそこから先の仕事をしていくうえで「コミュニケーション能力」が必要不可欠だとされている。

僕もかつてはこの言説を信じ込んでいた。

そしてコミュニケーション能力を高めるために試行錯誤を繰り返していた。

 

しかし、もともとがひねくれ者の天邪鬼である僕は、皆がコミュニケーション能力云々かんぬんを言い出すと、「ちょっと待てよ」と思ってしまうのである。

本当のコミュニケーション能力とは何か、本当にそれは必要なものなのかと。

 

一般的にコミュニケーション能力とは、自分の思っていることをうまく相手に伝え、相手の思っていることを正しく推し量る能力だとされている。ビジネスシーンだと自社の商品やサービスの利点を遺漏なく商売相手に伝えて、契約にこぎつける力となるだろう。適切な情報の発信力と受信力と言い換えることもできる。

 

時折、営業職の人や窓口で顧客対応している人たちの中で流暢に喋る人を見かけることがある。面接でうまく自己PRできたり、すぐに友だちを作ることができる人たちもいる。世間ではそれらの人たちのことをコミュ力が高いというのだろう。

僕も概ね異論はない。異論はないけれども、ちょっとひっかかるものがある。

それらは「見せかけの」コミュニケーション能力のような気がしてならないのだ。

 

そこで、真のコミュニケーション能力とは何か、と問われれば僕は返答に窮してしまう。僕は正しい、万人を唸らせるような答えは持ち合わせていない。

これで「はい、おしまい」となれば、このエントリーを立てた意味がなくなってしまう。無い知恵を絞って僕なりの答えを出していくことにする。

 

僕はコミュニケーション能力とは、「どうすればいいのか分からない場面」に出くわしたときに、適切に対処できる力のことではないかと考えている。

マニュアル通りにはいかないケースに遭遇したときに臨機応変にその場を切り抜ける力のことだと言ってもいい。

予め正答があるようなケースに対応することは比較的容易である。訓練やマニュアルによって何とか対処可能だ。受験エリートが最も得意とするものである。

しかし、この世の中は予測できないことばかりである。ビジネスにおいてもプライベートにおいても、予測できないことのオンパレードである。

 

だから(当たり前と言えば当たり前の話だけれども)学歴や学力とコミュニケーション能力との間に明確な相関関係はない。

就活の際に企業側が求職者のコミュニケーション能力を求めるのはあながち間違ってはいない。

 

では、このコミュニケーション能力が一朝一夕にして身につくかというと、そんなに簡単なものではない。色々な人たちとのかかわりの中での人間関係に揉まれ、読書によってだったり、映画や演劇を観たりしてだったりして総合的に身につく能力である。

ただし、あまりにコミュニケーション能力を絶対視するのもどうかと思う。コミュニケーション能力をその人の人間力に置き換えることは危険である。

 

コミュニケーション能力は人の持つ様々な能力のうちのひとつに過ぎない。この認識を常に持っておく必要があるように僕は思う。

ただ、現実的には今の社会状況では殊更にコミュニケーション能力を求められる傾向が強い。その意味ではコミュニケーション能力は必要だといえる。真っ当とされるライフコースを歩むためには必要な能力である。

 

先にも述べたようにビジネスシーンで求められるコミュニケーション能力はほとんどが「見せかけ」のそれである。

一見コミュ力がないように見える人も、実はすごいコミュ力を持っているという可能性は大いにある。平時ではない思いもよらない事態の時に、隠された力が発揮される可能性は大いにある。

コミュニケーション能力の個人差なんて濃淡の差程度のものであって、それが絶無という人はいない。

だから、表面上に見えるコミュ力の有無に一喜一憂することはない。