希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

「若者の○○離れはケシカラン」と言う輩はアホであるという件

モノが売れなくなった時代だと言われて久しい。

特に若年世代の消費性向は低調であると言われている。

自家用車を持たない、高級ブランドの服飾品にさしたる関心がない、等々。

オッサン連中はこんな若者たちの行動様式に青筋立てて批判する。

 

オッサンである僕の若い頃は確かに消費意欲が旺盛だったような気がする。

僕はクルマに興味がなかったので自家用車は持たなかったが、小綺麗なマンションに住みたがり、ブランド物の服をたくさん買ったり、デートにお金をかけたりと華やかな(?)消費生活を謳歌していた。

今から思えば単に企業の宣伝広告に踊らされて、消費を煽られていただけなのだけれども。

そのときのメンタリティを持ち続けている一部のオッサン連中が若者叩きに邁進しているだけの話である。

 

巷間で言われている「若者の○○離れ」であるが、例えば活字離れとか政治離れといった、芸術文化や政治活動に関するものは問題点もあるけれども、ここでは(話がややこしくなるので)ふれないことにする。

ここでは「若者の○○離れ」の○○の部分が消費財に関することに限定しよう。

 

若者世代の消費意欲が旺盛でない理由の一つとして雇用の問題がよく取り上げられている。非正規社員の増加、たとえ正社員として雇用されても昇給やベースアップの額が小さいことにより、若者たちはカネがないのである。

しかし、僕が若い頃もカネはなかったが、消費意欲は高かった。

カネがないことだけに消費意欲の減退の理由を求めるのは無理があるような気がする。もっと根本的な理由があるはずであるが、その明確な答えが僕には分からない。

 

おそらく生まれた時から右肩下がりの経済状況に身を置いている若者たちは、オッサン連中と異なる価値観や生存戦略を身に着けているのだろう。

消費するだけの生活に虚しさを感じ、それがバカバカしいと感じているのではないだろうか。

この感覚は真っ当である、と僕は思う。

 

この社会を牛耳っていると勘違いしているオッサン連中は、この若者たちの真っ当な感覚を理解できていないのだ。右肩上がりの経済成長という幻想に縛られて、前世紀の遺物的な価値観を未だに後生大事に持ち続けているのである。消費資本主義的な社会が未来永劫続くと妄信しているのだ。

 

繰り返しになるが、若者たちの消費性向は真っ当なものである。余計なものは買わない、シェアできるものはシェアをする、レンタルで済ませられるものはレンタルにするといった行動様式は真っ当である。

それを批判し、昔のバカみたいな「消費は美徳」といった価値観に囚われている連中はもうどうしようもないほどの愚か者なのである。

そんな愚か者連中にもう付き合う必要はない。

この社会の(特に経済的な)問題点を克服する処方箋として経済成長が効果的な薬になるということをいつまでも言い立てているような連中は前世紀の遺物的存在である。