希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

「自己責任論」を僕なりに考えてみるという件

僕は巷間にあふれている自己責任に関する言説に強い違和感を抱いている。

かと言って自己責任を全否定するものではない。

人は自分のなした言動にある程度の責任は持つべきであると考えている。

しかし、この国においては、弱者ばかりに自己責任を負わせ、強者は(政治家や官僚、大企業とその経営者等)自己責任を逃れているという倒錯した状況になっている。

この点に僕は強い怒りを覚えるのである。

 

僕が自己責任論的なものを肌感覚ではじめて味わったのは高校に入ってからのことだった。

僕が入学した高校はローカル・レベルだけれども学区のトップ校である進学校だった。

授業の進度(特に数学と英語)が中学校の時の数倍の速さで、予習をしていないととてもついていけないものだった。しかも高校の教師は生徒が皆理解していることを前提に授業を進める。当時は補習等の学校側のフォロー体制が皆無で、理解できなければ学生の自己責任とされていたのだ。学生の方もその点は心得ていて、「教え方が悪い」とか「早く進めすぎだ」といった文句など全く出ることはなかった。理解できないところがあれば、個別に教師に質問に行くか、出来の良い他の生徒に聞くかして(あるいは塾や予備校に通うことによって)自力で解決するしかなかった。

僕は高校時代のこの経験によって、自己責任のメンタリティを養ったのである。

 

僕は大学時代、働くようになってからも自己責任という考え方に疑いを挟むことはなかった。

潮目が変わったのは社労士事務所を廃業し、うつを罹患してひきこもり生活を余儀なくされた時だった。

「この状態はどう考えても、俺だけの責任じゃない」と感じ、ひとり自分だけに責を負わせる考え方には無理があるとの考えが脳裏をかすめた時、自己責任論の呪縛から解き放たれたのである。

 

貧困は自己責任である、という言説が未だに蔓延っている。

この考え方は産業革命を経て、資本主義の矛盾が露呈した頃のヨーロッパ先進国、特にイギリスにおいて唱えられたものである。貧困は努力や能力の不足によるものであって、国家は貧困世帯に対しては恩恵的に恤救はするが、その内容は劣等処遇の原則(最下層の労働者の生活レベル以下の処遇)に貫かれたものだった。

生存権の概念はワイマール憲法を嚆矢とするとされているが、社会主義的な施策(時としてファシズムの施策も混入して)が導入されることにより多くの先進国でそれが実現した。

この国でたびたび起きる生活保護バッシングは前世紀の遺物である劣等処遇原則と貧困は自己責任であるという考え方から脱していないことを表しているといえる。

 

僕は何でもかんでも社会システムのひずみや他者のせいにするという考え方には同意はできない。

ある場面においては自己責任、またある場面においては国家や社会の責任というように分けてとらえるべきだと思っている。

ただ、他者に向かって自己責任論を押し付ける態度は間違っていると思う。それは責任を相手にすべて擦り付けて、自分だけは責任の埒外に身を置くという無関心・無責任な態度である。

国家が自己責任を声高に言い募るときは、国家の責任を逃れるための詭弁を弄するときである。主に社会保障の実現という責務から逃れ、生存権の保障という現代国家の主要な責務から逃げようとする意思を表しているのである。

 

自己責任論が声高に唱えられる社会は間違いなく生きづらさが充満したものとなる。

様々なきっかけによって幾度となく自己責任論が再燃するこの国のこの社会の歪さは一朝一夕では改まらない。

しかしながら、僕たちはこの社会の中でその成員として生き続けることになる。

生きづらい世の中を急には変えることはできないけれども、そのための足掛かりを築くために、自己責任という圧力に抗うような手立てをひとりひとりが微小な力でも続けるしかない。