希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

「べてるの家」についての本を読むたび、僕の心は洗われるという件

心が弱ったとき、生きていく力がどうしても湧きあがらないときに手に取る本が幾つもある。そのうちのひとつが「べてるの家」について書かれた一連の著作である。

僕はそれらの本を幾度となく読み返している。

 

べてるの家」とは北海道の浦河町にある精神障害者や回復者の自助コミュニティのことである。単なるお仕着せの就労支援施設とは一線を画すとてもユニークなコミュニティである。

元々は浦河にある精神病院の患者たちが寄り集まってできた自助組織である。

そこから発展して、現在では社会福祉法人や株式会社を設立し、自らの手でビジネスをし、地域社会に溶け込んでいる。精神病を患った人たちが当事者としてかかわっているところに特徴がある。今では国内の各所から、あるいは国内にとどまらず海外からも視察者が多数訪れている。

 

べてるの家」を構成する人たちは「軽い」精神病患者ばかりではない。中には他の精神病院から受け入れを拒まれたような「手の付けられない」人もいる。

そして、「べてるの家」の人たちは病気が「治らない」ことを受け入れて(時には喜んで)、いかに病気と共存して生きていくかを模索し続けている。そして、「ゆっくりと降りていく生き方」を実践しているのである。

僕は「べてるの家」についての本を読むたびに登場人物の数奇な人生にあるいは厳しい状況に置かれてもなおも生きようとする営為に素直に感動する。

同時に医療や福祉の限界についても思いを至らさらざるをえなくなる。

確かに精神医療は格段の進歩を遂げている。有効な薬品も開発されている。しかし、医療行為では患者に病名をつけて、その病気が完治することしか目指していない。病気が完治あるいは寛解した後の人生については預かり知らぬところである。

福祉の領域においてもそこそこの制度は揃っている。しかしながら、お仕着せの就労支援や地域活動支援が幅をきかせていて、患者や元患者の「幸福な生きざま」についてまでは考えていない。

 

僕は「べてるの家」の営為はある種の「先祖返り」なのかもしれない、と思っている。

精神病に罹患した人たちを共同体から排除し精神病院に隔離しはじめたのは近代に入ってからである。

精神病院というものが成立する以前は「狂人」扱いされ忌避されつつも他方で「聖なる者」として見られたりもしていた。狂人あるいは聖なる者として共同体の中で共生していたのだ。時には「魔女狩り」のように社会から排撃・排除されるようなこともあったが、「そういう人」として共同体に包摂されていたのである。

べてるの家」に集う人たちは全面的に医療や福祉に依存せず、自らの共同体を創り上げ、他の共同体との共生を目指しているところに「先祖返り」をしているのではないかと思えるのである。

 

僕は「べてるの家」に関する本を読んでいて、感銘するところが多々あるけれども、特に「降りていく生き方」という考え方に共鳴するのである。

経済成長に資するような生き方だけが人生のありようではない。世間でいうところの真っ当な生き方だけが正しい生き方ではない。

自分なりに人生の意味を見つめて、「生きる力」を蓄え、結果として実りのある人生にすること。それだけで十分なのではないか、と思えるのである。

経済的成功や社会的地位なぞは副次的なもの、あるいはそれ以下のものに過ぎない。

たとえどのような人生であっても、その人なりに全うすれば立派な人生なのである。

 

僕はこれからも何度も「べてるの家」関連の本を読み返すことになるだろう。

その度に思い知ることになるはずである。

「降りていく生き方」は決して後ろ向きのものではなく、わずかでもあるはずの希望の光を見出すためのものであることを。

 

【僕が読んでいる「べてるの家」関連の書籍】

・『「べてるの家」から吹く風』 向谷地生良 いのちのことば社

・『悩む力 べてるの家の人びと』 斉藤道雄 みすず書房

・『降りていく生き方 「べてるの家」が歩む、もうひとつの道』 横川和夫 太郎次郎社

・『安心して絶望できる人生』 向谷地生良浦河べてるの家 生活人新書