希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

僕はサラリーマンをバカにしたりディスったりする言説が好きではないという件

僕の亡き父は中小企業のサラリーマンとして生き、その人生を全うした。

その父のおかげで僕は私立大学に行くことができた。母は父が長年働いたことによる遺族厚生年金を受給していて生活の不安はない。僕も少なからずその恩恵を受けている。

父はサラリーマンとして職業生活を終えたことに必ずしも満足をしていなかった節があるが、結果として家族に不自由な暮らしをさせなかった。僕は父を尊敬している。

 

「もう、サラリーマンはオワコンだ」的な物言いをする人たちが結構いる。

その言説には頷ける点も多い。確かに高度経済成長期からバブル期にかけてのかつてのサラリーマン的生き方や価値観を持ち続けたままでは、今後の有効な生存戦略とはなりえない側面もある。組織の論理に埋没した生き方ではなく、自律的な働き方や生き方を志向すべきではあるとは思う。

 

しかしながら、世の大半のサラリーマンたちは好きでもない仕事を黙々とこなしながら自身やその家族の生活を成り立たせている。これからもそのことは変わらない。

イノベーションを起こせるような人なんてほんの一握りの限られた人である。仕事にやりがいを見出し、自己実現を図れる人もまたほんの一握りである。

この社会は「その他大勢」の「無名の人たち」の下支えによって成り立っているのである。これらの人たちがいなければ即座にこの社会は崩壊する。

サラリーマンを否定することは、これらの下支えする人たち、縁の下の力持ち的な人たちを否定することになりはしないだろうか。それはかなり傲慢なことではないだろうか。

 

とは言いながら、僕もこのブログでサラリーマンに対して、あるいはサラリーマンの多くが持っている価値観に対して批判的なことを書いてきたことがある。

僕はサラリーマンそのものを否定したりディスったりしたわけではない。

会社の論理に絡み取られ、思考や行動様式が「社畜的」になったり「会社人間的」になったりしている人たちに対して、自分たちが有している価値観の押し付けを僕のようなレールを外れた人間に押し付けてほしくない、と言いたかっただけなのだ。

また、多数派であるサラリーマン的価値観をもって、少数者を抑圧し排除するなと言いたかっただけなのだ。

僕はサラリーマンの世界から弾かれた人間である。そのこと自体は何とも思ってはいないけれども、時々サラリーマンを続けられていたらこんなにビンボー生活をしなくても済んだのになぁ、と思うことはある。

 

サラリーマンを安易にディスる人たちの言葉を信じてはならない。

それらの人たちの多くはそういった言葉を吐き続けることによって自己利益の増大化を図っているだけなのである。単なる商売なのである。

サラリーマンとして生きるのも、フリーランスの道を選択することも、起業するのも、全くの個人の自由であり、それらのうちどれかが優れているわけでもない。どのような働き方や生き方を選んでもすべて正しいのである。